玉川上水とともに歴史を感じます。
神職は居るが境内には常駐しない氏子神社。
社務所を兼ねる自宅は離れて居り、御朱印記帳をお願いする場合の手順は①電話で宮司さまのご都合を確認②都合が合えば宮司が境内に来る③御朱印帳を社務所に持ち帰る④書き終えて境内に戻る⑤初穂料を納める紙でのお渡しで良ければ③④省略。
多くの神社は本業の収入だけでは生活出来ないので兼業が多いです。
参拝者の少ない郊外の神社だと普通に日常生活を送っていますので参拝者の多い都市部の神社と同じ対応は出来ない事を心に止めて頂きたい。
尚、自宅兼社務所での授与品対応を宮司さんに提案致しました。
その内、電話番号と略式地図の案内が掲示されるかもしれません。
優しくなれます。
お正月にいつも参拝させていただいております。
羽村地域で最初の学校が置かれた神社⛩️元々は存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で坂東武士の鑑と称された鎌倉幕府の有力御家人の平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将・畠山重忠公が信濃国一宮の諏訪大社より分霊を勧請したことが起源と言われているから由緒あります✨✨✨✨神社自体はごく普通に地域にあるような神社です😌ただ本殿前にある本家諏訪神社の東御宝殿の元御柱を移築した一本の太い柱跡は必見で見応えあります🦉学校として使用されていた時には『大菩薩峠』で有名な作者である明治時代から昭和時代に活躍した小説家、教育家・中里介山氏も学んだ場所としても有名です💁さらに非公開ですが鎌倉時代の銅鏡も有名です🦉🦉元学校なので境内はまあまあ広い事で納得できます😄
玉川上水とともに歴史を感じます。
御柱も祀られている。
羽村市内の教育施設としての歴史もある場所。
名称は「羽村玉川神社」ですが祀っているのは「諏訪様」です。
昔は諏訪明神と呼ばれていたようです。
本殿前には長野の諏訪大社で使われた「御柱」が埋め込まれています。
神社の歴史は古く鎌倉時代に豪族の畠山重忠が諏訪大社を勧請したとの社伝が有るそうです。
明治期には西多摩地区で初めての小学校が出来た地との事で「発祥の地」の看板も境内に有りました。
他の神社と比べて境内に摂社もなく、だだっ広い敷地なのは小学校として使われていた名残なのかもしれません。
ちなみに訪問に際しては駐車場🅿️が全くありませんので注意です。
奥多摩街道沿いで交通量も多く路駐も難しいです。
近くの羽村の堰や根絡み前新田等に車を停めて歩いて訪問するのが良いと思います。
諏訪大社の御柱があり、小さいけど趣があり地元には親しみやすい場所です。
こじんまりとしていますが、綺麗で静かな素敵な神社です。
神主さんは常駐されてなくて、御朱印はもらえませんでした。
ホームページに電話番号があったので、電話してみましたが、タイミング悪く不在のようでした。
(ブログで電話をして、御朱印をもらったということを書かれてた方がいたのでチャレンジしましたが、後々考えるとその為だけに来てもらうのも気が引けるな、と思ったのでご不在で良かったのかも💦)車を停めるスペースは無かったのですが、近所の方に聞いたら側に停めさせてもらえました。
とてもうれしかったです。
ここで言っても無意味かもですが、ありがとうございました😳
玉川神社は、羽村市羽中に鎮座する神社で、畠山重忠一族が信州諏訪大社を勧請して寿永年間(1182-1185)に創建、明治15年根岸地区の日枝神社を合祀して、玉川神社と改称したとのこと。
明治10年には羽村小学校が建設され、羽村の学校教育発祥地となったそうです。
建御名方命と大山祇命の二柱の神様をお祀りしているとのことでした。
又、御朱印はシンプルに個性的で端正にお書き頂き又一つ宝物が増えました。
対応も丁寧で、都心の喧騒を忘れ、昔ながらの地域共同体、ほっこりする田舎の”ムラ”に帰って来た様な穏やかな気持ちになりました。
またお参りしたいと思います。
大山祇命も祀られてます。
社殿横下に雑巾が干してある。
神様を祀る社に失礼です。
きれいな神社です。
タケミナカタの神様が祀られています。
地図では ◎玉川神社 となっており、住所は「羽村市羽中4丁目3-7」と出ますが、誤りです。
玉川神社は (35.761126, 139.304076) にある建物で、住所は「羽村市羽中4丁目1-16」と出ます。
名前 |
羽村玉川神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-554-1570 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
玉川神社は、畠山重忠一族が信州諏訪大社を勧請して寿永年間(1182-1185)に創建、明治15年根岸地区の日枝神社を合祀して、玉川神社と改称した。
明治10年には羽村小学校が建設され、羽村の学校教育発祥地となったといいます。