この付近は上水の川縁が自然で綺麗です。
コロナ禍の前は、夏の終わりにお祭りの金魚すくいの金魚が捨てられて、数十匹から十数匹、2、3匹と減ってゆき秋もなかばにはいなくなっていました。
鉄柵は十何年か前に再整備されたもの曾ては鉄柵の右側から駒場、恵比寿を通って三田まで通水していた(なお水路は埋め立てられた模様)小学校の頃、郷土学習でここの写真が載ってた玉川上水の廃止後、昭和49年までは境浄水場から出てきた水が流れていて恵比寿まで行き、ビールの製造に貢献していた因みに、ここの水は小平からの水ではなく、近隣の湧き水らしい(いつだったか水質検査したらしいです)また鉄柵の奥は四谷大木戸まで水路が保全されている(鉄柵の奥まで行った人物いわく、ここからどこまでかは不明だが、上に蓋をかけただけ?らしい)
京王線笹塚駅から三田用水取水口跡までの玉川上水の小川は、長くはないが綺麗に整備され、暑い中、涼しく感じられますね。
取水口跡辺りは、表示板等の掲示物が有れば、良いのにな!
分水口の形跡も、案内看板なども一切見られません。
三田用水は、よく分かりませんが、玉川上水に僅かに水が流れていたのが興味深いです。
清流復活事業の水は、ここまでは来ていないはずで、地下水としても玉川上水は尾根を選んで通っているので、周囲の低地の底に湧水が見られないのに、周りより標高が高い玉川上水に地下水が湧くのか不思議です。
しかし、江戸を発展させた玉川上水の工事、維持には敬意を払いたいと思います。
案内板か何かあれば、よかったと思います。
鉄柵は玉川上水が暗渠化する場所です。
取水口は鉄柵の右側にあるらしいです。
三田用水取水口を証明するものは何もない。
三田用水は、江戸6上水のひとつで、笹塚駅より南下した玉川上水の北沢取水口より分水されていた。
1974年(昭和49)廃止。
この付近は上水の川縁が自然で綺麗です。
名前 |
三田用水 取水口跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
大昔、丸いどんどん橋があった所ですね。
紙芝居屋のオヤジが良く来ていました。
ヌキやすもも水飴を買いました。
コンクリート製の神社の様な建物ががありしたがもう無いみたいですね。