春の小川はさらさら流れるから始まる高野辰幸作詞の歌...
代々木公園からほど近く、また代々木八幡駅から訪れる場合は電柱の案内にしたがって小田急線沿い北上してゆくと迷うことはありません。
その経路は、ちょうど河骨(こうほね)川の暗渠です。
この河骨川こそ、春の小川のモデルになったと言われている小川で、南下して渋谷駅北側付近で渋谷川に注ぎ込みます。
記念碑に刻まれている歌詞は、オリジナルの文語調のままです。
素朴ですが美しくて生命力あふれる詩です。
歌詞の「れんげ」は、ハス(蓮華)ではなくレンゲソウ(ゲンゲ)を指すのですね(汗)
河骨川の暗渠にある春の小川の歌碑です。
国文学者の高野辰之は明治42年(1909)から代々木山谷(現在の代々木3丁目)に住み、このあたりの風景を愛して、しばしば畔を散策していました。
(辰之出身の長野県中野市の情景を思い浮かべて作詞したとの説もあります)現在、小学校唱歌として教えられる「春の小川は、さらさら行くよ〜」とは歌詞が異なりますが、これは昭和17年(1942)、国民学校への教科書の掲載時に林柳波が口語体へ改めたもので、更に戦後の昭和22年(1947)に部分修正されているそうです。
かつての小川の流れが埋め立てられ遊歩道になっています小田急の線路端でもあるこの遊歩道からロマンスカー等の列車の行き来を眺めれば旅気分満喫です。
春の小川はさらさら流れるから始まる高野辰幸作詞の歌が刻まれています。
あの歌の春の小川のモデルになっていますが、今は暗渠になっていて姿を見ることが出来ません。
渋谷川の上流になるのですが昔はこの辺りも歌のように田園が広がっていたようです。
いわゆる代々木小公園の西側の小田急線に面した側道にあります。
春の小川はそのしたに暗渠になっていて見えませんが、南に向かい富ヶ谷から本店通りにそってセンター街から渋谷駅にいたり渋谷川に注ぎます。
碑は説明書きと歌碑の2枚です。
代々木八幡神社の裏口の坂を下り、小田急線踏み切りを渡り左折するとすぐ見つかります。
一、春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、匂いめでたく、色うつくしく咲けよ咲けよと、ささやく如く。
二、春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、今日も一日ひなたに出でて遊べ遊べと、ささやく如く。
三、春の小川はさらさら流る。
歌の上手よ、いとしき子ども、声をそろえて小川の歌を歌え歌えと、ささやく如く。
周辺は高級感あふれる住宅街です。
石碑の撮影をするなら、曇りの日がおすすめです。
探し当てた小さな碑 小川の跡も無く線路と通路にポツンとあるだけ参宮橋から歩き疲れる場所、レストランコーヒーショップナシ。
小田急代々木八幡駅から参宮橋方面に行くとあります。
今は面影はありませんが、せせらぎが流れていたことを示しています。
この碑が無いとここが歌詞の元になった小川が流れていたとはとても想像つかないですね。
首都高の出口が北参道に合流する辺りの電柱に「←春の小川」の表示がありますが場所も少しずれてる感じだしなかなか気が付く人はいないんじゃないでしょうか。
小田急線の線路横が暗渠になっている場所があり、古い石垣が残っている場所もありおそらく小川の法面部分だった所ではないでしょうか?北参道からも少し奥ばった所にあり小田急線が頻繁に通過する以外は意外に静かに時が流れている気がする場所だと思います。
ハルノオガワがサラサラ言っていた跡です。
線路脇に小さい歌碑と説明版。
小川の形跡はみあたらず。
線路横のほっそーい道がそうなのかな?富ヶ谷のほうに続いているけど。
で、電柱広告。
松濤の裏渋谷のあたりからずーっとついてます。
一本広告だすだけで6000円とかかるはずだけど…。
財源どこから。
辺りは、桜や春の花が咲き、たくさんの人で華やいでいます。
目の前を小田急線が通過する。
名前 |
春の小川記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/bunka/spot/meisho/meisho.html |
評価 |
3.8 |
小田急線沿いにあまり目立ちませんが石碑が建立されています。
すぐ横を小田急線が通るまさに線路ぎわです。
ここから南下すると暗渠となった河骨川の上を歩くことができます。