この地で、1955年(昭和30年)4月12日に、2...
日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑 / / .
日本の宇宙開発偉大なる功績を称えた石碑なのですが、個人的には松本零士のイラストは蛇足かなぁ…と言う気がしてしまいます。
すぐ隣が王貞治の記念碑と言うのも奇妙な気分にさせられます(笑)。
名前 |
日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
糸川英夫博士をプロジェクトマネージャーとする、日本のロケット研究チームが、この地で、1955年(昭和30年)4月12日に、23cmの「ペンシルロケット」の水平発射実験を行いました。
この地は、元は「南部銃製造所」があり、戦時中は「新中央工業(株)」として、従業員6千名を超える大銃器工場があり、実弾射撃場が残っていたのです。
その後ロケットは、カッパーロケット、ラムダロケットと進化し、ついに、1970年2月11日、ラムダ4S型ロケットで人工衛星の打ち上げに成功しました。
世界で、ソ連、アメリカ、フランスにつぐ四番目の成功でした。
最近では、宇宙探査の技術は飛躍的に向上し、「はやぶさ2」のような惑星探査機により、小惑星の石を持ち帰り、世界を驚かせる成果を上げるまでになりました。
このような成果も、国分寺市本町の「ペンシルロケット」水平発射実験からスタートしており、日本の「宇宙開発発祥の地」が国分寺市内にあることは、誠に喜ばしい限りです。