庫裡、書院、蔵などはすべて江戸時代以前の建物が残っ...
2023/04/27に訪問。
前日の雨のためか傷んた花もありましたが、それでもキリシマツツジとヒラドツツジが大変美しい庭園でした。
また、抜き文字名号展が行われていました。
メディアや観光協会でほとんど扱われないので、いい時期を知るのが難しいです。
拝観料、駐車場無料。
グーグルマップやナビだと裏側に案内されるかもしれません。
駐車場もあります。
手入れされた庭が美しく、ツツジも見頃でした。
手入れされたお庭ツツジがとても綺麗に咲いていて感動また訪れたいと思った。
ネットニュース?で綺麗なピンクのお庭の写真を見て行って来ました🚗😃白州次郎ご夫妻のお墓もお参りして来ました。
御朱印頂けます。
伊丹市在ですが、年に一度の割でお詣りしています。
落ち着いた佇まいが好きです。
手入れも綺麗にされております。
九鬼家の墓などもあります。
曹洞禅宗のお寺。
わりかし大きな駐車場があります。
お寺まで車で🚙行くと問題はありませんが、自転車や歩きだと結構急な坂道を少し上がってこないといけません。
ナビで案内すると、反対側の道を案内されて辿り着けなかったりするので、横にあるチャペルを⛪️目指してくるとたどり着けます。
中にはいくつかの井戸がありました。
お墓で使うお水も🪦そこから汲む感じなのかな?九鬼家のお墓も中にあり、奥の九鬼家のお墓は門があって入れない感じでした。
上に登っていくと三田の街が見えていいです。
手入れされた庭に満開のツツジ圧巻でした。
九鬼家代々の墓所もあり、一時歴史に浸りました。
訪ねる価値大です。
九鬼氏の菩提寺‼️歴代の藩主さんの墓所‼️
心月院のご住職のお人柄が偲ばれました。
その昔の先輩方への畏敬の念が伝わり、私ですらしばしこの前で佇みます。
伊勢谷友介が演じたNHKドラマ「白洲次郎」は今も脳裏に焼き付いていますが、「葬式無用、戒名不用」という遺言を残して逝った白洲次郎の死後、随筆家の妻・正子がデザインしたという二人のお墓があります。
初めて訪れた時は、有名人なのでさぞや立派なお墓だろうと大きな墓石ばかり探しましたが、お寺の方に尋ねてみてやっと見つけたのは、驚くほど慎ましくシンプルなお墓でした。
素敵なご夫婦だなと感じました。
キレイなお寺でした。
兵庫県三田(さんだ)駅から徒歩20分程の所に有り、三田藩主九鬼家の菩提寺。
また、白洲次郎夫妻の墓所でもあります。
戦後の復興に吉田茂の影の右腕と成り、表舞台には決して出なかった、日本を救った人物。
日本で初めてGパンを履いた男墓石も質素で白洲次郎らしい。
遺言が『葬儀無用・戒名不要』
九鬼隆一のお墓も三田市内、心月院(三田藩主九鬼家菩提寺)にあります。
墓の傍らに「景慕碑」が建っています。
九鬼隆一が、恩を受けた人々を顕彰するために建てたもののようです。
木戸孝允、大久保利通、岩倉具視といった政治家は、藩閥の後ろ盾を持たなかった九鬼を引き立ててくれたのでしょう。
フルベッキ、福澤諭吉、加藤弘之は、文部行政に関わってお世話になったのでしょう。
風情があるね。
白洲次郎と正子夫妻の墓所があります。
静かな場所に素朴な夫妻の墓石があります。
又、院内には白洲次郎の生涯のパネルが展示してあります。
心が落ち着く、さりげなくセンスを感じさせる、そんなお寺さんでした。
白洲夫妻の資料(関連書籍)多数あり。
トシちゃんも訪れたとか…
九鬼家の菩提寺曹洞宗清涼山心月院江戸時代幕府の許可なく城を築くことができませんでした☺️九鬼家の三田城入城以降、心月院は有事の際の第二の城としての役割を意識して手が加えられた。
頑丈な塀や深い井戸、裏山の茶庵などはその名残とされています☺️心月院の中に入ると公園墓地的な感じで立派なものですが、その中でも奥にある九鬼家墓は広々として風格があります☺️白州次郎と妻正子のお墓は有名ですそれが目的で来られる方が多いらしいですよ☺️三田市に来られた際には立ち寄ってみてください(・∀・)
眺望良く閑静である。
三田藩九鬼家代々も宗廟があり、また「占領を背負った男」として、吉田茂の側近として、日本の復興に尽力した白州次郎と妻の正子の墓があるかくれ里。
名前 |
清涼山心月院(曹洞宗) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
079-562-4310 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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2024.04.27白砂に描かれた砂紋と色鮮やかな躑躅の枯山水庭園が素晴らしく位牌堂以外の本堂、経蔵、総門、山門、庫裡、書院、蔵などはすべて江戸時代以前の建物が残っています。
特に、山門は桃山様式で伝承では関ヶ原の合戦後、当時の領主・有馬豊氏が豊臣家から譲り受けた有馬湯山御殿の遺構の一部だといわれています。
白洲次郎と正子夫妻の墓所がある寺として知られていますが三田藩主・九鬼家の菩提寺でもあり、寺の名前も、初代三田藩主・九鬼久隆の父で鳥羽最後の城主であった九鬼守隆の戒名「松嶽院殿心月善光大居士」から一部を取って名付けられたものです。
元々鳥羽を治めていた九鬼家は織田信長や豊臣秀吉のお抱えの水軍として活躍し、その名を全国に轟かせていました。
しかし、1633年に海がないここ三田に国替えとなってしまい水軍を維持することができなくなってしまいました。
国替えの理由として、実は力をつけすぎた九鬼家の水軍を徳川幕府が恐れて三田に移したのだそうです。