後に御茶の水と呼ばれる様になったとの事。
お茶の水(亥鼻公園) / / .
現在は枯れていますが此処の湧水で1180年千葉常胤が源頼朝を饗した説と1614年徳川家康が此処で水を飲んだと2つの伝承が有ります。
亥鼻城から降りて行った交差点手前。
千葉氏が代々「産湯」に使ったという井戸(今は枯井戸?)。
千葉常胤がこの水で源頼朝に茶を献じたて以来、「お茶の水」と称するようになったそうです。
良い水が出たらしく、後に御茶の水と呼ばれる様になったとの事。
桜の木越しの階段。
いつもキラキラ。
千葉一族は代々この水を産湯水に使用したといい、千葉常胤はこの水で源頼朝に茶を献じたという伝説が残っている。
現在は湧き水も絶えている。
名前 |
お茶の水(亥鼻公園) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.1 |
千葉常胤公を、推し、燃ゆ。
しかしここは、徳川家康公に軍配。
案内板の絵の様な光景はあったのか。
平安時代ではお茶は、都の皇族や貴族、高僧たちにしか嗜みの無いかなりの高級品であったので、こんな辺境の田舎武士団には、アウトオブ眼中であっただろう。
しかし、江戸時代初期の亥鼻山周辺には、大御所徳川家康公の御殿があったというのは、有力であるらしい(推定、現・千葉地方裁判所)。