下総国分寺跡一帯の高台にあります。
下総国分尼寺跡【国指定史跡】 / / .
広いので子どもたちはきっとここでサッカーとか鬼ごっこをしたいんだろうけど、踏んだらバチがあたりそうなものが置いてある。
自宅の近くにあります落ち着いてて静かなところです。
金堂と講堂跡が整備された公園になっています。
常に誰も居ない。
建物あった場所は、よくわかりましたが、ざんねんなことに、案内で紹介していた観音様がどこにあるか?わからなったことです撮影したかた投稿待っています。
下総国分寺跡には、いまも(後世の建築で、復元ではありませんが)お寺が建っておりますが、国分尼寺跡のほうは、まったくの住宅街の中にある原っぱ。
金堂の礎石跡に、目印となる台石が置かれているほかは、往時を偲ぶ手がかりもありません。
たぶん、当時の境内だった領域まで、一般住宅が建てられているようです。
国分尼寺が廃寺となったあとは、この辺には「馬捨場」があったとの掲示板があり、原っぱと道を挟んだ側のブロックの角に、馬たちの供養のためか、馬頭観音が彫られた小さな碑がいくつか残っています。
下総国分寺跡一帯の高台にあります。
国分僧寺跡と合わせ時代を偲びます。
【国指定史跡】国分尼寺は国分僧寺と同じように聖武天皇が天平13年(741)に発せられた「国分寺建立の詔」により「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立されたものだが建立の実年代は現在のところはっきりしていない。
この地はかつて「昔堂」と呼ばれ国分僧寺跡と考えられていたが昭和8年(1933)に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され尼寺跡と判明した。
国分尼寺跡公園として市営にて整備・管理されています。
下総国分寺の北東に位置し、発掘調査で金堂・講堂の基壇が確認されるとともに「尼寺」と書かれた土器が出土し位置の確定に至っています。
それ以前はかつて「昔堂」と呼ばれ国分僧寺跡と考えられていたが、発掘調査により寺の範囲を区画する溝が北・南・東で確認され北溝は340m、東溝は303mに及び寺域は不整な方形をなしている。
何も無い公園。
名前 |
下総国分尼寺跡【国指定史跡】 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
高台は昔人ども住みしかな尼も見たかな真間の入江を。