展望台から松本市がきれいに見えます。
2022/6/5公園側の斜面はかなり緩やかな場所もあるが、反対側は極めて急であり、曲輪の間は堀切により分断された連郭式の城だと分かる。
公園側には空堀跡があるが、改変が大きくなんだかな…と言う感じ。
犬甘氏の築城とされるが詳細不明。
信濃守護小笠原氏の重要な支城として機能したとされる。
遺構は思いの外、良好に残っている。
山城だが城山公園として開放されており、車で容易に到達できる。
松本平を見渡す事ができる眺望の良い城跡。
桜も綺麗。
犬甘城跡現在城跡は城山公園として整備され展望台などがあり、園内は桜がたくさんあり春には桜の名所にもなります。
実はこの城山公園、明治八年(1875年)松本最初の公園です。
前身は幕末の藩政時代、藩主戸田氏がこの地一帯を開放し、桜・楓などを植えて君民遊楽の地としたことに始まりますが、中世山城の遺構として主郭や空堀も現在なお残っており、往時を偲ぶことができます。
【歴史】天文十九年(1550年)武田信玄は信濃の小笠原長時を攻撃すべく松本平に侵攻。
小笠原氏の本城である林城をはじめ、その周辺に配置された、深志城、犬甘城、岡田城、桐原城、山家城など小笠原氏諸城は次々と落とされていきました。
犬甘城はこの頃に廃城になったとされます。
【アクセス】JR 大糸線島内駅の東およそ900mにあり、現在は城山公園になっており駐車場もあります。
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犬養義久は松本城西方にあった犬養城(現在、広大な城山公園)城主であり、犬養家は信濃国を治めていた源氏の流れを汲む小笠原家の傍系とされています。
犬飼義久の妻は前田利家の妻お松の妹おたかです。
犬飼義久は、武田信玄が敗れたあと、尾張あま市七宝町にうつり、お松のお父さんである林氏日開常信が、犬養義久を婿として迎えて、お松の妹と結婚しました。
今でも犬飼家の子孫は七宝町におり、お松の生誕地もあります。
犬飼家のことが表記がないのが不思議ですが、犬飼城という由来がわかればと思いました。
城山公園の遊歩道を散策していると、山城のような雰囲気の斜面が見える場所がありました。
そう思っているとやはり犬甘城という山城であることが案内看板を見ることでわかったのです。
南北朝時代から信濃国守護となった小笠原氏が重要な支城として治めていたそうです。
江戸時代には松本藩の管理下となって、庶民に公園として開放しました。
明治8年になってから松本市の最初の公園となりました。
展望台に登れば松本市、安曇野市、遠くには美ヶ原、北アルプスも見えます。
景色がよい。
北アルプスと松本平の展望。
展望台から松本市がきれいに見えます。
たまたま行ってみたら人もあまりいないし、穴場かもしれません。
芝生がキレイな城山公園。
駐車場、トイレ、展望台あって眺め良い♪城跡遺構の堀切や段々曲輪も残る♪天分19年(西暦1550)武田が侵攻してきてこの犬甘城で勝鬨をあげたとの説アリ。
エイエイオーってな ヽ(^○^)ノ。
眼下に街一望の景色木々に葉がないこの季節は山々も街も良く見えますもう少しすると桜の花が咲いてお花見の人が増えると思います。
展望台の眼下にあります。
堀や郭の遺構は、かなりはっきり残っています。
公園にもなっていて、眼下に街を見下ろすロケーションは最高犬甘氏という地士の居城で地域の歴史に興味のある人にはたまらない場所。
名前 |
犬甘城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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深志城が出来るまではここがこの地方を治めるお城だったようです。
眺めは抜群にいいですね。
遺構も結構残っています。
30分もかかりません。
時間あればぜひ寄って欲しいです。
駐車場も北側に無料のがあります。
道は狭いですがけっこな台数とめれます。