わが国の大事なところが寂れていて寂しいです。
越中国守の館の推定地。
跡地には気象台ができて当時を偲ぶものはないようです。
大伴家持の万葉歌「しなざかる 越に五箇年 住み住みて 立ち分れまく 惜しき宵かな」(大伴家持/万葉集)たまたま、万葉歌人の大伴家持が国守となって越中国に赴任したので、国庁跡がこれほど有名になったのだろう。
現在に例えるなら、え~と、 森田健作が千葉県知事になったとか、 横山ノックが大阪府知事になったとか、 青島幸男が東京都知事になったとか、 田中康夫が長野県知事になったとか、 東国原英夫が宮崎県知事になったとか、そんなレベル感なのかな(あと石原都知事とか猪瀬都知事もかな)大伴家持は国庁から徒歩5分程度のところに住んでいた。
現在の高岡市伏木気象資料館が建っている辺りが、昔の国守館の跡地という。
名前 |
越中国守館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
わが国の大事なところが寂れていて寂しいです。
新元号「令和」で二年目。
万葉集や大宰府、「令和」由来の歌を詠んだとされる歌人 大伴旅人公高岡市近郊には大伴旅人の長男で、歌人の「大伴家持」の句碑や足跡が「大伴家持(おおとものやかもち)」は、「大伴旅人(おおとものたびと)」の嫡男です。
大伴家持公は第二国歌ともいわれる海ゆかばの歌をつくった方といわれればわかるでしょう。
歌人で知られる大伴家持公は、父の大伴旅人は死別した後、家督を継いだ大伴家持公は宮内少輔となり、少納言となって帰京するまでの5年間を越中国守として在任しました。
大伴家持は「万葉集」の編纂に加わり、たくさんのの歌日記も残しています。
「万葉集」に残された歌数は全部で4516首。
大伴家持公の作品は一番多い四百七十三首です。
そしてその473首の歌のうち、なんと220余首が、越中在任の5年間に詠まれています。
越中富山県の恵まれた自然から歌が詠まれたのです。