羽柴秀吉に敗れて お市と共に自害した城。
福井城築城のおり、石垣の一部が発見されたらしい。
秀吉は完膚なきまでに勝家を叩きたかっただろうから、少しでも遺構があるのは奇跡に近いですね。
歴史ファンの方、お近くにお寄りの際は立ち寄ってみて下さい。
柴田神社と柴田勝家像と三姉妹の像があるだけ滞在時間15分がいいところです。
とはいえ福井市内は他に観光スポットもないため自然と寄って見る場所だと思います。
福井駅から福チャリレンタサイクルを借りて来ました。
賤ヶ岳の合戦において秀吉軍に惨敗、敗走し北ノ庄城に逃げるも前田利家に包囲され勝家、お市とともに自害。
3人の娘は後の歴史からも言わずがな。
石垣の遺構が残っております。
福井駅からほど近い、商店街の裏のような場所に北の庄城址があります。
狭い場所に城址を思わせる石垣風の構造物、勝家の像、お市の方と3姉妹の像、柴田神社とその休憩舎? などいろいろなものが詰め込んであるので多少雑多な気がします。
とはいえ、昔日の城があった場所を、石碑1本ですまさずに雰囲気だけでも再現しようという意向は感じられます。
柴田勝家の居城である北ノ庄城の遺構が若干見えます。
綺麗に整備されています。
もう少し、北ノ庄城の案内がちゃんとされてるともっと良かったですね。
ナビで近くまでは行ったのですが、最後のツメが甘く、クルマで探し回ってやっと駐車場を見つけました。
ビルと道路に囲まれた、想像していたよりも小さな城跡&資料館でした。
柴田勝家の像と、お市の方と浅井三姉妹の像が、別の方向を向いているのは、何か理由があるのでしょうか。
無料で入れる資料館もあり上階から全体的に見渡すこともできる。
織田信長の妹で浅井長政に嫁いだ後、柴田勝家の妻となったお市の方と、長政との間の三姉妹の像も設置されている。
福井城三ノ丸に取り込まれたため、北ノ庄城の遺構はほ残ってない。
ボランティアのガイドさんが素晴らしい。
親切丁寧に説明して頂きありがとうございました。
11月1日。
石垣が少し残るくらいなので、城好きな方には物足りないかもしれません。
それでも福井の礎を築いた柴田勝家の街作りに思いを馳せると楽しくなります。
北ノ庄城は織田信長の有力家臣である柴田勝家によって築かれた城で、羽柴秀吉に「賤ヶ岳の戦い」で敗れた勝家が妻であるお市の方とともに自害した城でもあります。
このときに天守も含め焼失したため、わずか8年しか存在しなかったのですが、その2年前に宣教師のルイス・フロイスが訪問しており、「城および他の屋敷の屋根がすべてことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」と記録しています。
北ノ庄城は丸岡城の天守と同様に笏谷石製の石瓦で葺かれた、安土城に匹敵する巨城だったと考えられています。
現在は柴田公園として整備されており、北の庄城址資料館が建てられています。
また、勝家とお市の方を合祀する柴田神社が隣接しており、勝家やお市の方、浅井三姉妹の銅像が建てられています。
柴田勝家、お市の方の自刃の地です。
ここに、大きな天守閣があったなんて想像がつきません!遺構も少しは、残っており、隣の柴田神社と合わせて行くととても良いです。
ちなみに、日本画家の平山郁夫さんは柴田勝家の末裔で、よくこの地を訪ねていたそうです。
凄い!しらなんだー!
織田家筆頭家老 柴田勝家 終焉の地。
羽柴秀吉に攻められ、妻のお市と共に自害して果てた北の庄城跡です。
自害の際に城に火を放っているので何も残ってはいませんが、当時の城の姿を無視したり、何でもかんでも鉄筋コンクリートでお城を復元すれば良い訳ではないと思いますのでこのような城あとも良いと思います。
またお市や娘の茶々達の銅像があるのですが、それを守るが如く長い槍を携え鎮座する柴田勝家公の銅像が勇ましくも悲運を漂わせる何とも言えない趣があります。
※駐車場は無いので訪問予定の方は周辺のコインパーキングをご利用ください。
とてもよく整備されてました、遠方から来ましたが嬉しい誤算。
皆さんよくご存知の歴史の1ページを刻んでいるこの場所をこのように丁寧に整備されていると嬉しいですね。
詳しい説明板あり、銅像あり、遺構もきちんと後世に残そうとしている、狭いながらもパーフェクトな城跡だと思いました。
名前 |
北の庄城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/sisetu/kitanosyou.html |
評価 |
3.8 |
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福井という都市は柴田勝家が城を築いたときに始まったと言われています。
織田信長の安土城のような山城が多かった時代に、北ノ庄城は平城として築かれました。
柴田神社の所に天守があったとされていますが、羽柴秀吉との戦いで焼失。
遺構なども、後の結城秀康の築城の際にほとんどが消滅したようです。
柴田神社の前には、織田家自慢の長槍?を立てた勇猛な柴田勝家の像。
その傍らには、お市の方と三人の娘の像が静かに佇んでいます。
戦国という時代に翻弄された人々。
日本の歴史に確かな足跡を残しています。