水戸の天狗党が降伏し、処刑された場所。
国指定文化財の史跡です。
明治維新目前の幕末。
水戸のお侍様達が尊王攘夷を訴えて京都を目指すも、敦賀の地で捕らえられ厳しい処罰を下されたということです。
こんなところに関東と北陸の繋がりがあるとは。
現在、敦賀と水戸は姉妹都市となっているそうです。
水戸天狗党の党首、武田耕雲斎と水戸烈士の墓があります。
尊王攘夷を唱え朝廷に志を訴えに行くも敦賀の新保で捕らえられ処刑されました。
処刑後に葬られた場所がこちらになります。
また、捕らえられた水戸烈士を閉じ込める為に利用された鰊蔵の一棟が移築され、水戸烈士記念館として利用されてます(訪問時は改装中でした)道路挟んで向かい側に武田耕雲斎を祀っている松原神社があります。
幕末の動乱の中、この地で水戸藩天狗党の353人が斬首された、という。
6m四方の穴を5個掘り、斬首してそのまま首、胴体共に穴に落とし、穴いっぱいになったら土をかぶせて埋めたという。
この盛土された墓所の下に今もその353人の遺体がそのまま埋まっている。
その上に今自分がいる。
と言う凄い所。
その遺恨の魂を感じて、多少なりとも自身の生活の襟を正すことも必要ではないかと。
真田戦記武田耕雲斎等の墓福井県敦賀市2丁目9武田耕雲斎本陣跡福井県敦賀市新保27−301864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵します。
朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられました。
幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺で353人が処刑されました。
国史跡である「武田耕雲斎等の墓」は彼らが処刑後に埋葬された墓所です。
1864年12月11日、水戸天狗党は木ノ芽峠を越えて、新保村に到着し、葉原村に陣どる加賀藩と対峙することとなります。
しかし、交戦を望まない水戸天狗党は戦闘を避けようと加賀藩と交渉を重ねます。
その交渉が行われたのが、武田耕雲斎本陣跡の建物です。
幕末に悲劇の最後を遂げた天狗党諸士の墓。
史跡に指定されています。
処刑されたのは西側にある来迎寺であるとか。
明治維新となり彼らは名誉回復がされ官位が追贈されました。
せめてもの慰めでしょうね。
元治2年(1865年)に発生した「天狗党の乱」によって、武田耕雲斎ら水戸藩天狗党員が処刑され、後に埋葬された墳墓です。
昭和9年(1934年)12月28日に国の史跡に指定されました。
大河ドラマ「青天を衝け」、津田寛治さん演じる武田耕雲斎。
耕雲斎等の墓の前に耕雲斎の像が有ります。
大和田伸也さんの音声ガイドでの詳しい説明も聞く事ができます。
静かで雰囲気のあるところでした。
車も止めやすいです。
2021.NHK大河ドラマ【青天を衝け】水戸藩士武田耕雲斎と同志士350人余りが《中略》幕府に捕らわれ斬首された地。
水戸藩は、攘夷派(天狗党)と諸生派(保守派)に別れていた。
徳川斉昭(なりあき)公が病死後、攘夷派は立場が終息に追いやられる。
耕雲斎が天狗党の党首になり、尊皇攘夷を訴える。
耕雲斎は党首になった時点で、処刑されることを覚悟していた。
此の墓地は刑場であり遺骸を埋没して土盛りをした、武田耕雲斎と志士が眠る墓であり天狗党終焉の地。
後に、耕雲斎の妻・子・孫までも斬首された。
大和田伸也さんの解説を聞き悲しくなりました😢斬首後はゴミ扱いですね。
ボタンを押すと大和田伸也の説明音声が流れる。
近代史好きな方はぜひここに一度来てみてください。
水戸の天狗党が降伏し、処刑された場所。
300名以上の人々の亡骸が葬られて塚になっています。
無念さが伝わってきました。
悲運の水戸藩士きちんと顕彰しています。
350人以上の藩士が処刑されたなど、悲しくなりますよね。
幕末の悲話。
歴史を知らない人でも墓地内の音声案内を聞けば内容を知ることができる。
国事に殉じた烈士、幕末維新の礎となった武士が静かに眠る処。
あの時代、あのような苛烈極まることがここであったとは信じがたいほど、平和で静かな時が流れている。
偉大な先人を偲び足を運ぶべき処だと思います。
水戸烈士を弔っているお墓で毎年10月に例大祭が行われています。
水戸天狗党の首領。
悲しい歴史だがこれがきっかけで水戸市と友好関係にも。
回天神社が水戸市にありニシン蔵も敦賀より移設。
簡単な資料館になっていました。
目の前には記念植樹もされていて良い雰囲気です。
墓地にはかの黄門様のお付きの方のお墓もありました。
水戸天狗党の武田耕雲斎らの墓。
案内看板のほかに音声案内も聞けました。
立派に残されていて、感動しました。
どのような経緯で敦賀の地元の人たちに残されたのか、いま現在どのようにして伝承しているのか、気になります。
ーーーーー1864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵。
朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられました。
幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺(松原)で353人が処刑されました。
国史跡である「武田耕雲斎等の墓」は彼らが処刑後に埋葬された墓所です。
道路をはさむ松原神社境内には、一行が監禁されたニシン蔵が記念館として残っています。
(Webサイトより)
名前 |
武田耕雲斎等の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.tsuruga.lg.jp/smph/sightseeing/culture/bunkazai_ichiran/kuni_kenshiteibunkaz.html |
評価 |
4.1 |
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音声案内のあるお墓。
すぐ側に天狗党残党が監禁されたという鰊倉があるが早朝のためか近くには行けなかった。