交通量のある広い道路沿いにあります。
阿良須神社(あらすじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。
京都府舞鶴市小倉の国道27号沿いに鎮座する神社で、富留山神社と隣接しています。
ご祭神豊受大神相殿神多岐都姫命市杵島姫命多紀理姫命木花咲夜姬命(殿内秘産二宮神)地域住民から大切にされているようで、綺麗に整理されてます。
広い境内には石標、鳥居、灯篭、案内板、拝殿、狛犬、本殿、摂末社などがあります。
社号石標には「郷社阿良須神社」ときざまれており、明神鳥居には「正一位一宮大明神」と記された扁額がかかっています。
「丹後風土記残欠」にある・土蜘蛛、陸耳御笠(くがみみのみかさ)の伝説の地のひとつです。
山中へ続く参道を登ると愛宕神社が鎮座しています。
「案内板」阿良須神社由緒(鎮座地)舞鶴市大字小倉小宇儿宫十三番地(旧社格)鄉社 延喜制式内社(旧社名及别称)柳原宫、大森宫、一宫、豊受阿良須神社(御祭神)豊受大神一座、相殿神、多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、三座、木花咲夜姬命(殿内秘産二宮神)由緒当社は崇神天皇十年丹波将軍道主王が青葉山に住む土蜘蛛陸耳御笠と云う兇賊を征伐し給う時、豊受大神を神奈備の浅香の森にお祀りされたのを創祀とする。
降りて天武天皇白鳳十年九月三日柳原の地に社殿を建て春日部村の氏神阿良須神社と奉称す、遡りて元年大友皇子の御謀叛の時越前阿須波の里へ忍び給う高市皇子は当社当社に幸し天下鎮静を大神に祈り御歌を詠じ給う。
曇る世に柳ケ原をながむれば 神の恵みや晴るる朝霧風来ぬる青葉の山の煙りたへ 行先遠き雲の上かな御染筆奉納にありたり爾来朝家の御崇敬厚く殊に延暦二十四年正一位を賜わる。
堀川院御子無きをうれいて当社に祈願を寄せ給いしに感応ありて宗仁親王誕生あらせられければ、寛治元年正一位一宮大明神の御額奉らる御筆は羽林飛鳥井卿の御真蹟なり。
かくて当社は古来より子宝を授け安産に奇霊なる神徳を現わし給うと云う。
貞元年中当国に叛賊起り国内乱れし時、藤原保昌賊徒平定を祈願し当社に拝す。
観応元年三月十五日神田五反政所尭基寛正三年神田一反代官河嶋主計充秀寄進す。
而して慶長五年九月七日兵燹に罹りて本社、二の宮、拝殿、御饌殿、神楽殿、中門回廊、宝物等悉く焼失した。
翌年細川忠興社を布留山の地へ遷す、即ち今の社地なり。
その後、明暦四年三月二十四日、文政十二年六月三日 両度本殿を改築す。
(例祭)九月三日が古例なれど現在は十月末の日曜日(式年行事)御屋根洗式十ケ年 近年行われず(所有文書)南北朝室町時代文書十三通(一巻)一宮大明神縁起(一巻)同造立願文(一巻)大般若経(一巻)を蔵し大般若経を除き京都府登録文化財並びに舞鶴市指定文化財である。
(2021/6/20撮影)
2020.11.15撮影祭神は豊受大神丹波道主命が青葉山に棲む土蜘蛛・陸耳御笠という賊を征伐した時に豊受大神を神奈備の浅香の森お祀りされたのを創起とする境内にある大銀杏がとても綺麗です。
丹波青葉山の土蜘蛛(陸耳御笠)討伐の際、豊受大神をお祀りしたことが始まりと伝えられています。
御祭神豊受大神一座相殿、多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、木花咲夜姫命(殿内秘密二宮座)境内社、神明神社、二柱神社、桜王神社。
阿良須神社あらすじんじゃ京都府舞鶴市小倉13祭神豊受大神配祀迩迩芸命天児屋根命天太玉命丹波道主命が勧請したとの伝承あり京都府舞鶴に入ると豊受大神関係の社が増える。
名前 |
阿良須神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0773-62-3253 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
交通量のある広い道路沿いにあります。
中に入れば静かな空間がありました。