イチョウの葉が境内を染めていました^^自然の色合い...
平安時代から続くおまつ神事が有名な神社です。
小倉地区の総代等3名が代表しておまつ神事(三つの藁束を燃やし、その燃え方で豊凶・稲刈時期が決まる)を行いますが、だいたい終盤の燃え方が分かってきたり、燃えカスが崩れたくらいになると感嘆が漏れてイベントが終わっていきます。
また5年に一度は一部地域でのみ有名な杓子舞(しゃくしまい)もあり、ひょっとことおかめのお面を被った男性2人(小倉出身の独身者)が踊りをお披露目します。
今だと訴えられるかもしれないあの踊り…自分が踊るのは考えますが、また見たいです。
交通量のある広い道路沿いにあります。
中に入れば静かな空間がありました。
阿良須神社(あらすじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。
京都府舞鶴市小倉の国道27号沿いに鎮座する神社で、富留山神社と隣接しています。
ご祭神豊受大神相殿神多岐都姫命市杵島姫命多紀理姫命木花咲夜姬命(殿内秘産二宮神)地域住民から大切にされているようで、綺麗に整理されてます。
広い境内には石標、鳥居、灯篭、案内板、拝殿、狛犬、本殿、摂末社などがあります。
社号石標には「郷社阿良須神社」ときざまれており、明神鳥居には「正一位一宮大明神」と記された扁額がかかっています。
「丹後風土記残欠」にある・土蜘蛛、陸耳御笠(くがみみのみかさ)の伝説の地のひとつです。
山中へ続く参道を登ると愛宕神社が鎮座しています。
「案内板」阿良須神社由緒(鎮座地)舞鶴市大字小倉小宇儿宫十三番地(旧社格)鄉社 延喜制式内社(旧社名及别称)柳原宫、大森宫、一宫、豊受阿良須神社(御祭神)豊受大神一座、相殿神、多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、三座、木花咲夜姬命(殿内秘産二宮神)由緒当社は崇神天皇十年丹波将軍道主王が青葉山に住む土蜘蛛陸耳御笠と云う兇賊を征伐し給う時、豊受大神を神奈備の浅香の森にお祀りされたのを創祀とする。
降りて天武天皇白鳳十年九月三日柳原の地に社殿を建て春日部村の氏神阿良須神社と奉称す、遡りて元年大友皇子の御謀叛の時越前阿須波の里へ忍び給う高市皇子は当社当社に幸し天下鎮静を大神に祈り御歌を詠じ給う。
曇る世に柳ケ原をながむれば 神の恵みや晴るる朝霧風来ぬる青葉の山の煙りたへ 行先遠き雲の上かな御染筆奉納にありたり爾来朝家の御崇敬厚く殊に延暦二十四年正一位を賜わる。
堀川院御子無きをうれいて当社に祈願を寄せ給いしに感応ありて宗仁親王誕生あらせられければ、寛治元年正一位一宮大明神の御額奉らる御筆は羽林飛鳥井卿の御真蹟なり。
かくて当社は古来より子宝を授け安産に奇霊なる神徳を現わし給うと云う。
貞元年中当国に叛賊起り国内乱れし時、藤原保昌賊徒平定を祈願し当社に拝す。
観応元年三月十五日神田五反政所尭基寛正三年神田一反代官河嶋主計充秀寄進す。
而して慶長五年九月七日兵燹に罹りて本社、二の宮、拝殿、御饌殿、神楽殿、中門回廊、宝物等悉く焼失した。
翌年細川忠興社を布留山の地へ遷す、即ち今の社地なり。
その後、明暦四年三月二十四日、文政十二年六月三日 両度本殿を改築す。
(例祭)九月三日が古例なれど現在は十月末の日曜日(式年行事)御屋根洗式十ケ年 近年行われず(所有文書)南北朝室町時代文書十三通(一巻)一宮大明神縁起(一巻)同造立願文(一巻)大般若経(一巻)を蔵し大般若経を除き京都府登録文化財並びに舞鶴市指定文化財である。
(2021/6/20撮影)
紅葉も綺麗でしたが、イチョウの葉が境内を染めていました^^自然の色合いが素敵な空間でした。
鮮やかなイチョウが目に留まり撮影。
氏子の方々がいました。
お祭りでしょうか?
地元の氏神様です。
2020.11.15撮影祭神は豊受大神丹波道主命が青葉山に棲む土蜘蛛・陸耳御笠という賊を征伐した時に豊受大神を神奈備の浅香の森お祀りされたのを創起とする境内にある大銀杏がとても綺麗です。
丹波青葉山の土蜘蛛(陸耳御笠)討伐の際、豊受大神をお祀りしたことが始まりと伝えられています。
御祭神豊受大神一座相殿、多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、木花咲夜姫命(殿内秘密二宮座)境内社、神明神社、二柱神社、桜王神社。
阿良須神社あらすじんじゃ京都府舞鶴市小倉13祭神豊受大神配祀迩迩芸命天児屋根命天太玉命丹波道主命が勧請したとの伝承あり京都府舞鶴に入ると豊受大神関係の社が増える。
大森大明神 地域主要機関。
名前 |
阿良須神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0773-62-3253 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
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阿良須神社、京都府舞鶴市小倉。
主祭神=豊受大神。
多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、木花咲夜姫命(殿内秘座二宮神)。
通称一宮・大森社。
丹波道主命が土蜘蛛征伐時、天神地祇を森に祀ったのが起源。
冨留山神社、おまつ行事がある。
平安時代、凶作が続き、藤原経教が祈願所と定め、ご神火を神前にささげ、占った。
郷社。
一般的に郷社は合祀があったりと入り組んだ印象になるが、当社は、2つの鳥居を持ち、御神水・清水を共有しているように見受け、より一層複雑に見える。
例えば、元々、物部系のような神社があった上で、別途新しい祭祀が加えられたような印象を持った。