但馬国城崎郡豊岡(現・兵庫県豊岡市にあった日本の城...
散歩でたまに訪れます。
特に桜の季節は最高、下から上を見上げても、上から下を見下ろしても、目一杯の桜を楽しむことができます。
簡易なハイキング感覚で登れますし、自然の中でお弁当を食べるのも楽しいです。
最近公衆トイレが綺麗になったのでとてもありがたいです。
児童向けの遊具は破損箇所があり一部立ち入れないようになっているので、お子様連れの方はお気をつけください。
簡単に本丸まで行けて豊岡市内がよく見える。
堀が少しあるぐらいで遺構はあまり感じられないです。
30分有れば充分に観てまわれます。
鶴城に行った後にこの亀城を訪問。
鶴城に比べれば整備されていて、いいと思います。
豊岡城(とよおかじょう)は、但馬国城崎郡豊岡(現・兵庫県豊岡市にあった日本の城。
別名・亀城。
但馬国守護大名山名持豊(宗全)により、此隅山城の出城として、標高48mの神武山に木崎城(城崎城)が建築された。
山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が配された。
江戸時代に入ると、豊岡藩として杉原氏が城主となっていたが、三代・重玄に嫡子なくして無子改易となり、一旦廃藩となったため、豊岡城は廃城となった。
現在、豊岡城跡一帯は神武山公園として整備されている。
城跡として見学すると落胆すること間違いなしハイキングついでに行くと景色を楽しめる。
市街地の中心部。
遺講はほぼありません。
あまり遺構ないかな。
豊岡城跡は現在、公園になっています。
山名氏が守護として但馬を統括していた頃は、亀城といい、砦が置かれており羽柴秀吉の但馬出兵後、宮部、木下、尾藤、明石、福原、杉原氏と入封していたが、江戸時代になり一国一城令で廃城にになり、陣屋にかわる。
1668年からは丹後田辺舞鶴の城主 京極高盛が杉原氏にかわって入封し明治維新まで9代に渡り豊岡藩を治めていた。
1871年(明治4年)但馬、丹波、丹後の諸県をまとめて豊岡県が成立、その後 但馬・丹波2郡が兵庫県と合併し現在に至る。
豊岡城跡は現在、公園になっています。
山名氏が守護として但馬を統括していた頃は、亀城といい、砦が置かれており羽柴秀吉の但馬出兵後、宮部、木下、尾藤、明石、福原、杉原氏と入封していたが、江戸時代になり一国一城令で廃城にになり、陣屋にかわる。
1668年からは丹後田辺舞鶴の城主 京極高盛が杉原氏にかわって入封し明治維新まで9代に渡り豊岡藩を治めていた。
1871年(明治4年)但馬、丹波、丹後の諸県をまとめて豊岡県が成立、その後 但馬・丹波2郡が兵庫県と合併し現在に至る。
遺構は公園化のため改変されていますが、曲輪や城址を感じさせる遺構はあります。
名前 |
豊岡城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
山名氏が築き、羽柴秀吉旗下の宮部継潤が改築した城。
江戸時代の過半を占めた京極氏は城持ち大名ではなく、陣屋で政務をとったため、豊岡城の歴史は案外短いです。
豊岡の基礎となった城で、豊岡を見渡すことができる場所です。