廃された城の広大な敷地を利用した公園。
もったいなさすぎる。
内部に入れないのは老朽化なのかハリボテなのかとか想像することは自由だけど、実際どうなんでしょうね。
入れないからわからないけど。
こういう場所を訪れると、補修してお城に泊まってもらおう(ヾ(´・ω・`)とか城をどうすれば活かせるか考えてしまうけど、費用かなりかかるので、回収見込みなかったら動かないんでしょうね。
入れなくても遠くから城を眺めるだけで大丈夫ならば…足を運んでみてください。
京阪電車伏見桃山駅から徒歩30分ほどかつてのテーマパーク跡地にお城だけが残っています。
駅から歩く住宅街の中かなりの坂道です。
ここは歴史が一杯詰まった散策コース、30分で100円の駐車場あるからね✨1592年豊臣秀吉が朝鮮出兵後、隠居の住まいにと建てた指月伏見城から始まる。
ところが大きな地震で倒壊、1597年、木幡山伏見城として再建。
名護屋城に似ていたと言うから豪華絢爛な城であったと推測出来る。
秀吉、晩年を過ごすも1598年8月には亡くなり、遺言から息子の秀頼は大阪城へ。
徳川家康が留守居役として入城も9月には大阪城へ移る、同時に大名達も一気に大阪移動。
淋しい街になった😢1600年、家康は会津征伐へ向かう。
この時は鳥居元忠が城代。
この隙間をついて相対する小早川秀秋、島津義弘連合軍が4万の兵をもって攻め入る。
家康予測された動き、故に兵をここに残そうか?…ところが鳥居元忠「大丈夫、会津は重要な戦い」そちらに重きをと断る。
僅か1800人で1週間、元忠、最後は残党と自決する😢それを知った家康、あぁ無念だったろう、この時の血の付いた床板を徳川所縁のある寺院寺院へ、元忠よ、決して忘れぬぞこの忠義とは言ったかどうかは知らないが誰にも踏ませない!と血の付いた床板を天井板に使えと…それが養源院、興聖寺、源光庵に正伝寺だ !関ヶ原で勝利した家康、翌年慶長6年(1601)伏見城再建、以後征夷大将軍へ、又息子秀忠の将軍儀式等栄華を極める。
が、やがて伏見城の作業は停止、家康は駿府へ。
機材も駿府へ運ばれ玄和5年(1619)廃城が決定。
伏見幕府とまで言われた街だったのに😢ところが昭和の時代、キャスルランドと呼ばれる遊園地、ジェットコースターにプール、お化け屋敷に魚釣りと大いに賑わう。
当時は天守閣から見る景色は絶景。
今は入れないが建物だけはそのまま残っている。
嬉しいぜ、隣の明治天皇御陵と合わせて満点だ😃
家から歩いてすぐのところにあり、よく散歩する際に訪れています。
天守閣には、入るとこが出来ませんがそれ以外でしたら無料で入ることができます。
特にサクラがさく春がおすすめできれいに咲き誇ったサクラ並木を歩くことができ、安土桃山時代の豊臣秀吉もこのような感じだったのかと思いながら散歩できるのでおすすめです。
伏見桃山城にいくには、JR藤森駅か桃山駅から歩いていくのが近いと思います。
ただ、お店などはなく自動販売機しかないのでお弁当を買うか駅の近くのコンビニで買い物をしてから行ったほうがいいと思います。
画像を見て行きたくなり、訪問しました模造天守だそうですが、見ごたえ十分で楽しめました耐震の問題で天守には入れません周りは緑豊かな公園で、ちょっと歩くには丁度良い距離感です有料駐車場もあり、料金はこなれた値段でゆっくりできます。
2021年3月30日にお花見🌸に行きました。
平日だったので、それなりに空いていてよかった!入場は無料。
🅿️代のみ。
トイレは隣の野球場管理棟にあり。
★×5にしたいんやけど城内に入れ無いのが難点 散策や周辺のスポーツ施設の環境は好しい物です観光に見える方々には外観を見るだけで物足りなさを感じられると思います。
が、見上げればその5層の屋根の出立は圧巻の一言さらに隣接する二の丸御殿と仲睦まじく寄り添う夫婦にも見え羨まし〜 この地の西と南に天皇陵が竹やぶに覆われ広がってます。
大阪方面からお越しになると(高速・国道・電車の全路線)右手の山中から皆さんの入洛を歓迎してます よーお越しやすとね 手は降ってくれませんが! 京都タワーとは一味違うシンボル。
城という名前に惹かれてついつい寄ってみた。
管理に問題があるのか正直、瓦も剥がれていてボロボロでした。
当然、お城の中へは入れませんし城の真下にも行けないです。
立入禁止🚧遠くから見たら綺麗ですが。
私以外には誰一人と居ませんでした💦駐車場は30分ごとに100円課金1日最大800円。
元々は近鉄系の遊園地、伏見桃山城キャッスルランドの「シンデレラ城」的な建造物ですが、閉園後は京都市に贈与されました。
虚偽の場所に役所が建てた天守形建造物には、断固否定的な立場なのですが、元は民間なので…。
伏見城本丸跡は陵墓になってしまい、再建不可能なんですよね。
とりあえず、近くからではなく第二京阪から遠目に見える伏見城は良い感じなので☆3つです。
正直、設備はボロボロ。
天守はかなり前から入れない。
それどころか立入禁止区域も多い。
ベンチも酷いモノだと、撤去が必要なモノまである。
庭園はまぁまぁ綺麗だけど。
最近は新型コロナのせいで行き場を失った親子連れがゾロゾロと来るようになって、落ち着きが無くなった。
正式には「伏見城」。
詳細はWikiPediaに委ねますが、現在にも残っているお城のような建物は、近鉄がテーマパークのために1964年に建造した「模擬天守閣」であり、特に本来の史跡とはあまり関係ないようです・・・
伏見桃山城🏯は、大阪と京都を結ぶ要衝の地で京都市南部の伏見区にある。
秀吉自らの隠居所として築いた屋敷跡地が始まりとか。
江戸時代初頭に伏見城が廃城となり、その跡には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられたことから「桃山」と呼ばれるようになり、桃山城、伏見桃山城と呼ばれるように。
現在のお城は、昭和中頃に近鉄が遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の開業に合わせ建設した鉄筋コンクリート構造のもので、現在は京都市が所有し、運動公園として市民の憩いの場となっている。
その隣には、明治天皇の陵である「伏見桃山陵」や桓武天皇の「柏原陵」もあって、閑静でのんびり楽しめるエリアだ。
子供の頃、城の中に入って殿様気分を味わいました、、が今は耐震が基準値以下らしく閉鎖。
寂しく建っているのがあの当時を思い返すと余計寂しく。
近くにはグラウンドやイベントスペースがあるので人の目には付いているはず。
遠くから廃墟化せず復活するのを祈るだけです。
あんな立派なお城が、、
세키가하라 합전 초기에 도리이 모토타다가 이에야스의 명을 받아 끝까지 항전하다가 700여명의 병사와 함께 장렬히 옥쇄했다는 그 후시미 성입니다.関ヶ原合戰初期に鳥居元忠が家康の命を受けて、最後まで抗戦している途中、700人余りの城兵と一緒に壮烈に玉砕したその伏見城です。
豊臣秀吉が築き、徳川家康が改修した伏見桃山城です。
耐震の問題でロープが張られ、天守閣には入れません。
昔、桃山城キャッスルランドという遊園地がありましたが、今は運動公園となり、野球場もあります。
桜🌸がきれいなので、花見に来たいですね。
非常に懐かしい少年時代を思い出す。
しかしあの喧騒はもう無い。
駐車場からグラウンドまで遠い。
伏見区民の憩いの場、桃山城なくならなくてよかった。
桃山城に来たくて・・・お正月は閉園してました・・・残念お城の前くらいには入りたかった。
廃された城の広大な敷地を利用した公園。
写真ばえするお城です。
散歩には使えるが、たいしてなにもない。
四季折々たのしめるすてきな球場です。
伏見桃山城を借景に野球をしている姿には、太閤さんもビックリするでしょうね。
単なる公園になっています。
散歩や運動には良いかと思います。
名前 |
伏見桃山城 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-602-0605 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
山門も きれい❗️お城も とても良かった‼️どうして 放置しているのか 信じられませんお庭も ちょっと手を加えると 素晴らしいと 思います❤️