10/16 参拝室町時代の史跡。
春王丸・安王丸の墓。
永享年問(1429〜1441)、鎌倉公方足利持氏は、関東管領上杉憲実と争った。
幕府は上杉憲実を援護し持氏を討った。
持氏の子春王・安王は女房に伴われ、日光山に落ち延びた。
下総の結城氏朝は、永享12年(1440)3月、持氏の遺子春王・安王を迎えて挙兵し、結城城にこもったが、幕府の攻撃にあい翌嘉吉元年(1441)落城した。
春王・安王は捕らえられ、京都への護送中、垂井の金蓮寺において斬首され、京都で首実験に供された後、同寺に埋葬された。
その時、春王13才、安王11才であった。
現在、国道21号線脇に、石柵に囲まれて建つ3基の宝篋印塔がある。
やや小さくほぼ同じ高さの2基の宝篋印塔が春王・安王の墓とされる。
また、大きいのは乳母の供養塔だという。
春王丸・安王丸の墓。
将軍足利義教に討伐された関東管領足利持氏の遺児、春王と安王が京都へ護送中、当地で処断されました。
戦国時代の先駆け、関東動乱を告げる一件です。
室町時代に永享の乱で自刃した父・足利持氏の遺児で、結城合戦を経て京都までの護送中に処刑された春王、安王の墓地。
関ヶ原の戦いでは池田輝政隊の陣地でもあった。
名前 |
春王丸・安王丸の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
10/16 参拝室町時代の史跡。