特別なお札が販売されていました。
白金龍王社(/≧◇≦\)
御祭神は、「天照大神の荒魂(アラミタマ)」がお祀りされています。
伊勢神宮でお願い事を聴いていただける「荒祭宮」にお祀りされている神さまと同じです。
ですのでお願い事は、若宮神明社でするのではなく、ここで行ったほうが良いと思います。
Platinum Dragon King 白金竜王この地で、ここぞと云う時、強く願いを念ずれば必ず道は開かれます。
2021年1月29日参拝この社までは、木曽川の堤防を通って、たどり着きました。
尾張国は天正14年旧暦6月24日(1586年8月9日)の木曽川の大洪水によって大きな被害を受けました。
それまで、尾張と美濃の木曽川の本流は、現在の境川あたりにありました。
境川の名の由来も尾張と美濃の境目であったためその名となりました。
この洪水で木曽川の本流は大きく流路を変え、それまでの葉栗郡、中島郡、海西郡は木曽川によって2分され、木曽川の右岸となった地域は美濃国に編入されました。
天正14年の大洪水により、堤のなくなった木曽川は、流れが安定せず、この地域は苦難の時代を迎えます。
当時、尾張は豊臣秀次の所領であった為、秀吉は文禄2年(1592年)11月末から12月初旬まで洪水で荒廃した尾張に滞在し自ら振興策の遂行を指導したといわれます。
なんといっても、この地は秀吉にとっても、思い入れが強い場所です。
秀吉の死没は1598年9月18日とされておりますので、老体に鞭打ち、振興策の指揮をしていたことが想像できます。
これにより翌文禄3年正月には築堤が開始されます。
その後、秀吉の死没・徳川幕府への移行などもありましたが、徳川家康がこの事業を引き継いぎ、現在の犬山市から弥富市に至る木曽川左岸に、約48kmにわたる御囲堤(おかこいつつみ)は、築かれました。
実は、家康もこの地域の上流にある光明寺で軍法を授かっており、思い出の地でもありました。
堤の完成により、幾筋にも分かれていた木曽川の流路は固定され、水流や水量が安定されます。
この地区の治政は、徳川家康の九男、徳川義直(尾張藩初代藩主)となり、この地域は豊かな土地として、反映への道を切り開いていきます。
この地に、万度御祓社があり、白金竜王が鎮座Platinum Dragon King 御囲堤が、白金のように、錆びず、いかなる環境にも影響を受けない。
そういった場所です。
この地で、深く願うことで、道は開かれることでしょう。
白金龍王社。
若宮神明社の奥の方にある、龍に水をかけるのが良いみたいだけどお金大好きなので財の文字のひしゃくを使った金運良くしたいな〜神社は傘とかも置いてあってめっちゃ雰囲気がいいです。
2020年4月4日は白金龍王社の70周年祭で、特別なお札が販売されていました。
勝負事にめっぽう強い白龍さん^_^一陣の風が吹いたら歓迎されてますよ!
奥町にある神社で地元住民の憩いの場になってるそうです。
名前 |
白金龍王社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
綺麗な神社でした。