大津通側入口すぐの右側に案内板があります。
2022年8月中旬に行きました。
説明板やネットの情報だと1548年から1570年頃まで現在の清浄寺のあたりにあったそうです、1548年、織田信秀が末森城を築いて古渡城から移った時、鎌倉街道の備えとして妹婿で守山・川村北城主である牧長義に小林城の築城を命じました。
その後、牧長義は川村北城を廃してこの地に移り、長義の嫡男・長清が織田信秀の娘の『おとくの方』(お市の姉)を妻にもらい在城。
美人のほまれ高かったおとくの方は、小林殿と呼ばれたそうです。
牧長清は晩年に仏門に入り、長清の死後に小林城は廃城になりました。
城の遺構は有りませんが、清浄寺の境内に牧長義夫妻、牧長清夫妻の墓と思われる四基の宝篋印塔があります。
夜は風情あるライティングになっています。
大津通側入口すぐの右側に案内板があります。
天文(1532年から1555年)のころ、尾張の守護・斯波氏の一族である牧長清が居城し、前津小林四千石を領した。
長清は織田信長の妹を妻にして、織田氏とも縁が深かった。
夫人は人々から親しみを込めて、小林殿と呼ばれていた。
長清は老後、参禅して仏門に帰依し、その死後、小林城は廃城となった。
城跡は、二代尾張藩主光友の剣術師範を務めた柳生新陰流の達人、柳生兵庫の屋敷地となった後、元禄年中(1688年から1704年)、ここに清浄寺が建てられた。
名前 |
小林城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.5 |
立て札だけ?