なぜここにあるのか考えさせられる。
若松城 甲賀町口郭門跡 / / .
会津若松市内の繁華街にあります。
特に夜は目につく場所です。
この場所は鶴ヶ城へ入る外堀の門跡です。
戊辰戦争ではここから鶴ヶ城へ攻め込む新政府軍との激戦地になった場所でもあります。
戊辰戦争降伏調印の場所?と言われ、藩士にはなんとも云えない場所。
南部藩ではまだ戦が続いてました。
降伏調印後も、戦死藩士も居られたと思われます。
悲劇ですね❗
会津若松城は惣構(そうがまえ)と呼ばれる土塁で、城下町全体を防御していました。
ここ甲賀町口は16ヶ所あった総構えの入口(郭門)の中で、特に重要な惣構の入口だったので、石垣を築き防御力の高い門を築きました。
会津戦争では激戦の地となりました。
若松城の数少ない遺構の一つ。
ここから新政府軍は入れなかったという。
繁華街の途中で駐車場所もなく一通だったりするので車だと見学厳しいかもしれません、
【国指定史跡】 蒲生氏郷は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られました。
外濠明治4年に田畑にする条件で払い下げられ埋め立てられました。
甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。
Old gate of Wakamatsu-jyo castle at Koka-machi.The stone wall appears suddenly in the town, and we wonder why the stone wall is located here. It is about 1000 m far from the center of the Wakamatsu-jyo or Tsuruga-jyo castle, the stone wall and gate were one important entry to the castle town. Although it is prohibited to climb up the stone wall, you can touch the stone build in 1600s.突然町中に現れる石垣には、なぜここにあるのか考えさせられる。
若松城(鶴ヶ城)の天守閣から約1000mの石垣と城門は、城下町の重要な入口の一つであった。
石垣に上ることは禁止されているが、構築された1600年頃の石に触れることができる。
名前 |
若松城 甲賀町口郭門跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
024-521-7398 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
街中に突然現れる大きなお城の一部の跡です。
積み上げられた岩が当時を表しています。