戦時の遺跡今は水の音だけが残っています。
道に迷ってたらここを通った昔の水上飛行機の停留所だったらしいあえて見に行くほどではない。
ただの船揚げ場のように見えるが、愛知航空機で制作した水上機を水面に下ろすための構造物だった。
このコンクリートの斜面を先の大戦までは水上機が滑って大空に飛び出して行ったんやなー😆この辺りは「藤前干潟」と言ってラムサール条約に指定されてるところで景色も抜群ですからここでボーッと昔に思いを馳せるんも良いですよ👌
水上機を水面に上げ下げする為の傾斜だそうです。
戦時中 愛知航空機 永徳機体工場で製造された水上機をここから飛ばしていたとか…
疲れたときに来たくなる。
愛知航空機徳永工場に設置されていた水上機の水上導入路跡地現在は当然ながら航空機部門は閉鎖されており往時の名残のみがあるだけである訪問時は満ち潮の為かかなりの部分が水没しており細かな部分を観察する事が出来なかった特に説明書き等は無いが戦前花開いていた国内の航空機産業の残滓がここにはまだあったそうした史跡を訪れる事が好きなのであれば訪問しても良い場所。
令和二年一月四日。
ここから落日を撮りました。
この地が重い歴史を持っていたとは後から知りました。
戦時の遺跡今は水の音だけが残っています。
様々な生き物がいました。
環境を大事に遊んで、藤前干潟を守りましょう。
知らなければ、何だろなくらい、歴史のひとこま。
お気に入りの場所です。
Old World War 2 sea plane dock.
永徳スリップ 第二次大戦末期の飛行艇用スリップ現在の愛知機械で組み立てた飛行艇を、ここから庄内川へ入水させていた。
公園として整備される前は、戦争の遺品らしき構造物が周辺に残されていましたが、現在は、ここ永徳スリップのみが唯一取り残され、何の跡形かあまり知られる事なく、たたずんでいます。
名前 |
永徳スリップ跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
昭和20年7月 終戦まであと一ヶ月という時点で ここ永徳工場に勤労動員されていた 当時24才の叔母が 空襲直撃で亡くなりました。
遺骨も残りませんでした。