季節ごとに御朱印の絵も違うようです。
行った時藤の花が満開でした。
駐車場はすぐ近くに2台分有ります20230423で藤は終わりかけでした。
金刀比羅社、稲前神社、甲山八幡宮、滝山東照宮、季節の御朱印を頂けます東照宮以外は普段無人だそうです。
藤の季節なら綺麗な花が見れますね🎵
藤が咲き始めていました。
藤の花で有名な神社です。
ギュッと濃縮されコンパクトに収まってる感じのする神社です。
戦争で焼失し、徳王稲荷社と金刀比羅社が合祀されて、新社殿が建立されて「徳王稲荷社金刀比羅社」となったそうです。
由緒を読むと家康にもゆかりがあるようです。
御朱印が人気です。
以下由緒(おかまいりHPより抜粋)「徳王稲荷社」は、永正3年(1506)に今川氏親の発願で、稲熊(現・岡崎市稲熊町)の郷石山に稲荷大神が勧請されたのが始まりと伝えられています。
明治26年(1893)1月3日に市内両町に移転し、徳王稲荷社に改称しています。
昭和20年(1945)7月20日の岡崎空襲によって社殿は焼失しました。
「金刀比羅社」は、建保3年(1215)頃に本間三郎重光の臣・伴隼人が北野天神の祠官として奉仕したのが始まりと伝えられます。
永禄3年(1560)頃、両町に住む伴孫太郎が徳川家康公に弓弦を献じたことから弦指屋敷呼ばれるようになり、家康公も弓の稽古に訪れ、お手植えの椿があったと伝えられています。
文化9年(1813)10月に伴氏屋敷内に金刀比羅大神がまつられます。
後に中町に移転しますが、岡崎空襲で社殿や藤棚が焼失しました。
(境内に藤の大樹があり、こんぴらさんの永藤と東海道一の名声があった)昭和42年(1967)、岡崎空襲でともに焼失した徳王稲荷社・金刀比羅社が金刀比羅社境内に合祀され、新社殿が建立されて「徳王稲荷社金刀比羅社」となり、商売繁盛、金運上昇、交通安全、道ひらきの神社として信仰を集めています。
境内の片隅に根だけ焼け残って蔓を伸ばしていた径5 cmほどの藤3株を移植し棚を設け大切に育てると、奇跡的に空襲で焼ける以前と同じ170 cmを超す長藤が復活しました。
毎年四月下旬に藤まつりが行われ、五月下旬まで夜間照明が施され遠近より訪れる参拝者の人並は終日絶えることがないそうです。
※【総持尼寺由緒より】今から800年ほど前のこと、順徳天皇(1197年~1242年)の時代、宮中に毎夜妖怪が現れて人を悩ませていたそうです。
宮中の警護の武士・本間三郎重光が命を受けて(本間の家来の弓の名手の伴隼人が)弓矢でそれを打ち抜いたところ、それは一匹の白狐でした。
その後、たまたま帝が病にかかられ、治療も効をないため陰陽博士に占わせたところ白狐の祟りということで、「重光の所領である三河の菅生郷に、日本六十余州の名山の土を集めて山を築いてその上に稲荷社を建立し、傍らに一寺を建てて皇女が出家し祈り給えば帝の病も癒えるでしょう」と奏上。
よって、その通りのとりはかられました。
とあります。
岡崎天満宮・筑紫山稲荷総持尼寺・恵美須神社の由緒といい、宮中の妖怪の狐を仕留めた本間三郎重光家で弓の名手の伴隼人、その孫が家康と繋がってくるんですね。
本間家(と家臣)は凄かったんですね。
なんだか本間家とその家臣のさりげない由緒入りが(アゲ)多くて面白い。
小さい⛩️です😌藤棚があったので藤の季節には綺麗なんだと思います🎵書き置き御朱印が良い感じです🎵
街中にひっそりとたたずむ雰囲気がとても良いと感じました。
季節ごとに御朱印の絵も違うようです。
3月からは御雛様にちなんだ御朱印になるようです。
書置きの御朱印対応日でしたが、通常御朱印は御朱印帳に書いていただくことが出来ました😆藤が有名だそうなので5月辺りに伺いたいです。
お百度石✖3、さざれ石があるよ。社務所の方が親切で、御朱印✖4を入手可能。
🅿は狭いけど境内にあり。
一方通行注意です。
季節の御朱印と摂社込で4社の御朱印がありました。
手書きは1人1つにして下さいと言われましたが書置なら全て頂けます。
ここから岡崎天満宮さんも近いのでついでに参拝される事をお薦めします。
岡崎に行ったときに季節毎の御朱印があると知って立ち寄りました。
あまり大きくない敷地ですが、見事な藤棚ときれいな社に手入れされた敷地で気持ちのいい場所でした。
また、社務所の方の対応も優しく、御朱印と共にこちらの社のあらましなども教えていただけ、機会があればまた参りたいと思います。
ふじがとてもキレイです。
夜はライトアップもされていて、雰囲気がとてもいいですよ。
御朱印頂きました。
藤の花印がアクセントに押してあり素敵です。
徳王稲荷社金刀比羅宮、通称徳王神社。
春の藤まつりで知られます。
名前 |
徳王稲荷金刀比羅社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0564-21-7209 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
『房長六尺(180cm)の藤』と聞いて行ってみましたが、普通のサイズの藤でした。
六尺は戦前の話で、六尺藤は太平洋戦争時の空襲で焼けてしまったそうです。