平安時代の国の長官が国中の神社を巡拝する労を省く為...
西明寺に行く途中で「三河総社」を発見、【総社】とは何だろう~と立ち寄り⁉️⭐️総社…律令時代の名残り、令制国内の神社を赴任した国司が巡回する制度、平安時代に国府の近くに神社をまとめ合祀したのが「総社」だとの事❗️⭐️三河総社(別称:白鳥総社)…三河七郡の58神社を合祀、醍醐天皇/904年創建⛩️・境内入口小ぢんまり、参道、境内もひっそりと歴史の奥深さの割に質素な趣、凄く綺麗に掃除されてました✨・隣接した東側に三河国/国府(白鳥遺跡/曹源寺周辺)、更に東側に三河国分寺と国分尼寺、昔々、大化改新の詔から平安時代は三河国の中心地だったんですね、何か不思議ですね、歴史散策は楽しい🚶
2022年7月、全国総社巡りの一環で参詣しました。
神社に常駐されている方はおられません。
御朱印を可能ならば授かりたいと思い、掲示されていた(写真参照)御三方様へ何度か電話させて頂き1つ繋がりましたが、先頭の宮司様でなければ御朱印の対応はできないとのことでした。
結局宮司様とは連絡がつかず御朱印は断念せざるを得ませんでした。
人口が多い東海地方の総社でこのようなお宮があるとは少々意外でしたが、神社の維持大変なことですから致し方ないことです。
御朱印が目的の方は予めアポイントを取られた方が宜しいかと思います。
神社の周囲はここがかつて三河国府であったのが嘘のように、完全な住宅地です。
平安時代の国の長官が国中の神社を巡拝する労を省く為に祭神を一箇所に合祀した神社でした。
そばの国府跡の遺跡と併せて見ると感慨深いです。
どうしても一宮と比して総社は後世に権威を持って残ることが稀のよう。
御朱印頂戴するため宮司さんを呼び出すことになってしまったが、現時点でこちらの総社を後世に残そうという強い熱意に感銘を受けました。
当社の史跡・秋葉山常夜燈探索で訪れました。
松の内は終了しましたが参拝させていただき境内を巡らせていただくと本殿脇に当社の説明板由緒記があり『祭神は国内五九社大明神、大木食命(おおぎくいのみこと)=大木保津命(おおぎほづのみこと)社格は村社(明治九年=1876)縣社(大正一一年=1922)七級社(昭和二七年=1952)(略/加)摂末社は村上社・若宮神社・鍬神社・七社明神・稲荷社・秋葉神社・津嶋神社・招魂社、由緒は歴史で習った(略)我が国が大化の改新後~大宝律令成立の間に国家体制と地方行政組織を整え豊川流域にあった穂国(東三河)と矢作川流域の三河国(西三河)を三河国の一国都し国府が当社東に置かれ都からの国氏は六~四年の赴任期間に同国内神名帳の諸神社を巡拝するのが恒例で、やがて平安時代弘仁年間( 810〜824)神名帳五十九社(宝飯郡=略現豊川市以外七郡の正五位下以上)を当社に祭国司巡拝の代わりとし、宝飯郡の神社は従来通り巡拝した。
その後(永和四年=1378)足利義満時代に池鯉鮒宮(現在の知立神社)五八社大明神に建立奉ると再建時にあり、大化の改新以前は地方豪族の支配が強く私地・私民から公地公民制、中央政権制度への変換期で国司の赴任制度から軍司の終身制度とし、物部氏系譜の大木食命=(大木保津命)を合祀するなど政治的配慮がうかがえる。
』と再理解を深める説明がありましたが、鳥居脇の三河國総社・三河国府(国庁)跡説明板では摂末社について稲荷社、秋葉神社、津島神社、招魂社は何となく判ったのですが、他も含め境内での配置説明などもあると非常に助かります。
他に菊花御門の棟大瓦や二〇〇〇年記念桜・明治百年記念樹石碑・高市黒人 万葉歌碑に珍しい津島神社常夜燈と秋葉山常夜燈も確認しました。
説明によると、総社とは「国司が国内の神社を巡拝する労を省くため、祭神を一か所に合祀した神社」とありますが、その割には小さな神社ですね。
昔はもっと大きかったのでしょうか?ちなみに尾張の総社は稲沢市にある国府宮神社です。
豊川市の旧国府横にある神社⛩です。
普段人は少ないけど、ちゃんと手入れされてて気持ちが良い。
御朱印は、事前予約が必要。
愛知県の三河地方、国府に鎮座しています。
この地方が古代如何に栄えていたか、本当に目から鱗、知らなかったのです。
素晴らしい出会いを頂きました。
総社巡りをしています。
社務所不在で宮司さんも不在でしたが他の方の連絡先まで社務所にl記入してあり、丁寧な手紙とともに御朱印を郵送で頂けました。
ずいぶん整備された神社です。
かつて律令がしかれた奈良時代、三河の国司は赴任すると同時に地域の神社をくまなく参拝のしきたりを途中変更。
おおくの神様(56箇所)を一堂に介した神社といわれ、その名前がついている。
神社と森のプロがいます。
神社の後ろに、守人の気配が漂う森があります。
素晴らしい❗
「『総社って、どうなん?』って思いますよね?」確かにあちこちの国には「○○総社」があります。
昔の国司が国を巡回する手間を省いて、ここでお参りすればそれでOKみたいな?その必然性が、現代に生きる自分にはよくわからないんです。
さすがに「手抜きじゃないかい?」と。
総社自体に罪はないので、ここではこれ以上は触れないことにしますけど。
三河國司の仕事の一つは三河國内の神々をお祀りすることですが、各地を巡るのが面倒臭いので、「國衙の鄰に全部纏めてお祀りすれば樂だ」とばかりに設置したのが總社です。
う~ん、インスタントだな・・・
この総社の東側に古代の三河国の国府(国衙)が置かれたという。
宝飯郡以外の七郡の三河国内神名帳の59社の神霊(五九大明神)ならびに穂国の国造の祖である大木食命(おおぎくいのみこと)(大木保津命おおぎほつのみこと)を祀る。
「『総社って、どうなん?』って思いますよね?」確かにあちこちの国には「○○総社」があります。
昔の国司が国を巡回する手間を省いて、ここでお参りすればそれでOKみたいな?その必然性が、現代に生きる自分にはよくわからないんです。
さすがに「手抜きじゃないかい?」と。
総社自体に罪はないので、ここではこれ以上は触れないことにしますけど。
静かで落ち着きのある神社です。
万葉集の歌碑がある「妹も我れも 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつ」(高市連黒人/万葉集)
御朱印は郵送対応となります。
郵送代と合わせて500円です。
平成28年5月7日参拝不在です。
名前 |
三河総社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

奈良時代、国府の置かれた場所の横に鎮座する神社です。
入口にある案内板に当時の国府の左側に位置することがわかります。
綺麗に掃きならされた境内に小振りな社殿があり、敷地内に歴史的な史蹟は有りませんでした。
隣りの国府跡地は現在無人?のお寺があり、入口付近は畑と物置のみで何もありません。