神野新田の内宮として建立されたそうです。
牟呂神富神明社の縁起初代神野金之助翁が神野新田を作った神野富田両家を代表して、新田の3ヶ所に神社を寄付した。
住民の心のよりどころとして(そ)ノ割を内宮、(せ)ノ割と会所前を外宮として、明治28年1月1日、伊勢大廟皇大神宮の御霊を奉祀することを定めた。
直ちに同月7日をもって牟呂八幡社へ仮鎮座式を行い、2月10日に(そ)ノ割に新築した社殿に遷し鎮座の式典を挙げ、同時に豊受太神宮を(せ)ノ割、および会所前の外宮へ鎮座式を行った。
境内は内宮が1,500坪、外宮は150坪づつで、鳥居、石灯篭等を備へ、お社、その他総て内宮と同じである。
内宮(そノ割)は圓龍寺の山号「神富山」から神富(しんとみ)神明社、外宮は地区名を冠して五郷神社(せノ割)と二開神社(会所前)と名付けられた。
神野新田の内宮として建立されたそうです。
開拓された方々には頭が下がります。
名前 |
牟呂神富神明社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
コロナ退散を願ってお参りお願いいたしました🙏。
地元の方々により境内は綺麗に保たれており遊具があります☺️。
(隣は幼稚園です)それぞれに立ち並ぶ巨木群(御神木?)には謂れがあるのか?石碑が、また、お百度参りの石碑や、秋葉神社に、入口両側と道路を挟んだ所には社名にもあるとおり、一帯の開拓に尽力された神野金之助、三郎氏と富田重助氏の立派な石碑も建てられております。