障害物やすぐ横まで車がみっちり止まっていて肩身が狭...
かつての宿場の本陣跡。
痕跡は無いが、案内板と石柱の設置で場所が特定出来ている。
石碑が防火水槽で見えない。
当地は古くは「知立」と書き、江戸時代に「池鯉鮒」と表記されるようになり、明治以降にまたは「知立」に戻ったらしい。
旧東海道だけではなく、昔から主要な道が四通八達している交通の要衝であり、さぞ賑わったのだろうと想像される。
本陣は、江戸時代に参勤交代の大名や幕府の高級役人、朝廷の遣い(勅使)などが、宿泊したり休憩したりした、幕府公認の旅館だ(とはいえ、大名が泊まるときは、基本的に「軍旅」であるので、食糧持参で自炊。
ホテルの豪華な食事を臣下一同堪能して、お酒を飲んでドンチャン騒ぎなんてことはありません)。
東海道39番目の宿場なのに、区画の端に追いやられており、少し残念ですね💧明治天皇も立ち寄られたようです。
街道沿いからは少し南側に入ったところにあります。
単に石柱があるだけなのがちょっと残念。
過去の栄光は何処という感じです。
東海道池鯉鮒(昔はこう書いた)宿の本陣が置かれていた場所です。
石碑が棒か水槽で見えない。
知立宿本陣跡(池鯉鮒宿本陣跡)です。
名前 |
池鯉鮒宿本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.1 |
障害物やすぐ横まで車がみっちり止まっていて肩身が狭い。