ひっそりと供養塔が並んでいます。
織田信雄公四代供養塔 / / .
大和宇陀松山藩主の織田家の墓所。
信長の次男信雄が初代藩主。
御家騒動で4代で廃藩となり、丹波柏原藩に転封となりました。
ここの墓所は、その時に宇陀松山の徳源寺から、安土総見寺に移された墓所といわれています。
名前 |
織田信雄公四代供養塔 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
長谷川邸跡にひっそりとありましたので、見過ごしてしまいそうです。
立札には、織田信雄公四代供養塔初代藩主織田信雄(戒名:徳源院殿実巌常眞大居士)、寛永7年没、享年73歳・4代織田信武(戒名:圓明院殿定岩宗恵大居士)、元禄7年没、享年40歳・3代織田長頼(戒名:徳雲院殿回岩宗頂大居士)、元禄2年没、享年70歳・2代織田高長(戒名:瑞泉院殿一岩宗徹大居士)、延宝2年没、享年85歳。
と書かれています。