狭い道を上るときれいに整地された神社が!
一度は足を運んでみるといいかも、ですくつがたくさんありました!
ランニング中の立ち寄り場所です。
靴がたくさん奉納されていますが、なぜかヘルメットなどもあります。
足の病を治すといわれ靴(昔は草鞋)が奉納されている。
この先は、通行止めな看板が…不安の中上がって来たら!とってもステキな足尾神社に巡り合い!早速ご参拝させて頂きました〜お天気も良く良い一日が過ごせました〜
登るのはキツいですが見晴らし最高です。
こちらは足の神様です長い間 一緒に共にしたスニーカーとお別れしたした。
大変静かな所です。
斜度15%程度の坂をのぼる。
狭い道を上るときれいに整地された神社が!別世界のようでしばしぼーっとできた。
ちなみにジムニーは上れたが普通の車はしたの林道まででやめたほうがいい。
鋭角のカーブや急坂でにっちもさっちもいかなくなる。
脚の神社として祭られており 眺めも良い!
きのこ山から登って、途中のパラグライダー飛行位置の景色が綺麗で、足尾神社の看板からちょっと急坂を登って到着。
立派な鳥居をくぐって、革靴奉納所はビックリしたし、初めて見ました!これは足の病を治す為に奉納するんでしょうか?自分も持ってくれば良かったなと。
本殿には足が悪くならない様に祈りました!社務所は無人で、本殿の右にトイレがあって助かりました。
きのこ山から登って、途中のパラグライダー飛行位置の景色が綺麗で、足尾神社の看板からちょっと急坂を登って到着。
立派な鳥居をくぐって、革靴奉納所はビックリしたし、初めて見ました!これは足の病を治す為に奉納するんでしょうか?自分も持ってくれば良かったなと。
本殿には足が悪くならない様に祈りました!社務所は無人で、本殿の右にトイレがあって助かりました。
[延喜式内社]常陸國 茨城郡 夷針神社小屋集落にある遥拝殿足尾山山頂の奥宮この本宮(拝殿)で構成されている松の古損木の倒伏により損壊が甚しく平成27年12月改築された。
名前 |
足尾神社本宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.5 |
周辺のオススメ
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御祭神は国常立命・面足命・惶根命。
神仏分離以前は上曾の「足尾山 大岩寺」が別当だったが、度々の火災により記録一切を焼失してしまい、創建年代等の詳細不詳。
社殿に因れば、第60代の醍醐天皇(897-930)が御足痛に苦しんだ時、夢枕に足尾の神が現れたことから、遠く足尾の山を遥拝したところ、たちまち快癒した。
醍醐天皇は紙に御足型を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜した。
平安時代末には源義経の臣・常陸坊海尊が当山で修行したことから、足尾山は修験道の霊場として広く知られることとなり、全国から足の病に悩む参詣者で賑わった。
野火で焼失した醍醐天皇の勅額の再下賜を寛正5(1464)年に御所に願い出たところ、再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったが、これも明治の神仏分離の混乱で失われてしまったそうです。
また、当社は延喜式内社(小社)「常陸國茨城郡 夷針神社」に比定される論社です、論社というからには他にも候補が結構ありまして、茨城町大戸「夷針神社」・「かすみがうら市西野寺「胎安神社」・かすみがうら市東野寺「子安神社」・笠間市泉「飯綱神社(愛宕神社境内社)」とあります。
どの社が本命であるかは、浅学菲才の徒たるみけねこに述べる資格なぞありませんが、延喜式神名帳がまとめられたのは、延長5(927)年で、まさしく醍醐天皇の御代ではありますかいか。
ああでも、夷針神社という社名がやはり分からないですよね。
山麓の足尾神社里宮(石岡市小屋)から車で約10キロ・18分程度ですが、県道7号石岡筑西線沿いの足尾神社一の鳥居前を経由し、林道北筑波稜線(狭いです)をクネクネと北上。
ハンググライダー離陸場(林道はハングライダーを乗せたワゴン車が行き来するので注意)の少し先の道路脇右側に社号標があり、狭いながらもコンクリートで舗装された参道は車で進入することが可能です。
林道脇にリトルカブを駐め、知らずに歩きましたが、100メートル強くらいでしょう。
参道の先は、砂利が敷き詰められた意外にも広い境内に、二の鳥居、小さな新しい社務所、草履奉納所、そして真新しい社殿が鎮座していらっしゃいました。
老朽化で基礎の石造の部分しか残っていなかったものを平成27年に新改築されたそうです。
さて、あとはここで参拝すれば、足弱のみけねこも足ピンピン。
裸足の鉄人アベベ(古いですか)も真っ青な健脚に・・・と言いたいところですが、まだ先があります。
それは、社殿の左後ろに石の階段が続いているではありませんか?