鳥居から本殿までの参道がなんとも言えない厳かな雰囲...
西本宮と比べると厳格な雰囲気です。
鳥居を抜けた後の参道から樹木に覆われた静けさや樹木の間を吹き抜ける風が、心を沈め厳格さをいっそう感じさせます。
本殿は一間社流造で、葺かれた屋根の色が背後の樹木と色合いが近く自然信仰の雰囲気があります。
小さな森に囲まれた東本殿。
木々に囲まれ光量がさえぎられ静かな空間でした。
こっちは木々に囲まれ静か。
駐車場から道路を渡るがそこそこ交通量があるので注意。
鳥居から本殿までの参道がなんとも言えない厳かな雰囲気があり神秘的な空間です。
#重要文化財苗村神社東本殿は重要文化財です。
西本殿の道路を挟んで向かいにあります。
西本殿と違い林の中にあり鳥居をくぐると少し薄暗いです。
西本殿とは違い敷地はなんだか厳かな雰囲気につつまれていて神聖な感じがします。
東本殿は小さくてもなんだか威厳があり神々しさもあります。
かなりのパワースポットだと思います。
延喜式に掲載されている格式の高い神社。
いわゆる式内社です。
近郷三十三カ所に氏子を持っているそうで、規模や信仰の篤さが伺えます。
社殿によると創建は第十一代 垂仁天皇の御代だそうで、東本殿のほうが早期に建立され、安和二年(969年)に西本殿が造営されたとか。
東本殿の鳥居や石碑は、かつての仮名遣いである長寸(なむら)神社の表記となっています。
本殿前庭の石灯籠はなんと、永享四年(1432年)の奉納。
応仁の乱よりも前に奉納されたものが現存していることだけでも凄いです。
江戸時代以前の石灯籠を見れる神社はとても稀で、歴史の古さをひとしお感じた神社でした。
創建は西本殿よりかなり古い。
古墳がある場所に建てられている。
第11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、3世紀末から4世紀前半の古墳時代にこの地に生活していた人々が、開拓した先祖の霊を祀った場所。
なので御祭神は神として祀られた祖先、氏神様なのかもしれない。
祖先に対して、感謝の意を込めて古墳時代から祈りが行われていた。
のちに社殿が建てられ、今の本殿は重要文化財となっている。
神社の鳥居には長丁(なむら)神社と刻まれている。
この地の地名である那牟羅(なむら)と同音の字、長丁(なむら)が神社の名前として使われている。
延喜式にも載る格式高い神社で、近隣の33もの村に氏子を持つ総社である。
社名の表記は吾那邑(あなのむら)→長寸(なむら)→苗村(なむら)というふうじだいとともに変わってきているらしい。
境内社として大神宮(祭神は天照大御神)、天神社(祭神は菅原道真公)、佐々貴社(祭神は少彦名命、大彦命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王)がある。
祭神は大国主命、事代主命、須佐之男命を祀っている。
また、この周辺には古墳が数多く存在しており、それを見て回れるルートも境内に走っている。
古墳があります。
令和元年9月23日参拝。
訪れた日は、光が強くキラキラでした。
内部の文化(原文)式内社 重要文化財。
2017.11.08. (水)14:00 初参拝 (奈良斑鳩人)苗村神社東本宮には 以前に参拝しましたが西本宮の存在を 今回知りコチラに!駐車場前の道路を隔てたトコロの参道を100mほど奥に進むと 深緑に包まれ本殿1棟と 両脇に2棟の摂社を控え佇んでいました東本宮には 国宝の西本殿が有り コチラ西本宮には 重要文化財の東本殿が有ります本殿の説明板には 御祭神の名の記載がナク願い事を どなた様に頼んだのか分からない事になり ネットで調べましたが不明 っとストレスでしたなお 本殿の建立は 室町中期トノ事なので15世紀中頃になります建築様式は 一間社流造と比較的小さく屋根は檜皮葺で 重厚で反の曲線は トテモ美しいモノでしたまた1714年には 大半の部材を取り替えた大修理が行われ なお現在の建物は1958年(S.33年)に解体修理が行われ ソノ際には 資料に基づき元の形に復元されたと有りました鳥居から本殿までの道中は 木々に覆われ参道に一歩入ると 静寂に包まれ神秘的な雰囲気を感じる場所でした東本宮も どうかお忘れナク御参りを!
名前 |
苗村神社 東本殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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解放感のある真逆の西本殿とは林に包まれたしっとりとした東本殿です近くには八基の円形古墳があります二社で楽しめる苗村神社でした--------------〈参拝時間〉いつでも参拝できます〈アクセス〉🚊公共交通機関🚍️JR東海道本線近江八幡駅 8.2kmバス竜王町タウンセンター下車650m近江鉄道万葉あかね線武佐駅 7.7km🚘️車 🚙名神高速西宮線竜王IC 3.6km〈駐車場〉無料駐車場あります〈売店・食事処〉ありません。