篠原で処刑したのには意味があるのでしょうかね。
もう少し整備してあげて欲しい、、、義経元服の地と近いのですが、篠原で処刑したのには意味があるのでしょうかね?解説が欲しい。
平家終焉の地はほとんど国道8号線に面した場所にあると言ってもよいが、案内板がなければまず気付くことはないぐらいひっそりとしている。
ここには、この地で斬首された平家の長者・平宗盛とその嫡男・平清宗の胴塚が残されている。
京都へ再護送されることとなった親子は、その途中、護送の責任者であった源義経の命によって篠原の地で斬首された。
この処刑の際には、宗盛の幼い次男らの男児も斬首となっている。
この平家の嫡流の処刑によって正統の血脈が途切れたため、この地が平家一門の終焉の地とされるのである。
この胴塚の真正面には小さな池があり、平宗盛首洗いの池とされている。
また処刑がおこなわれて以降、この池に棲む蛙は鳴かなくなったため“蛙鳴かずの池”とも呼ばれるようになったという。
地域の方・会の方々にて整備された様子で安堵しました。
ただ池は・・現代において土地や史跡はと考えさせられます。
残してばかりじゃ切りがないと言う意見もわかります。
源義経元服の地から、少し🚙で南下すると、発見👀平家終焉の地~😳。
またまた、なんで、こんな所に?と思いながら、行ってみると、静かな場所にお墓と説明文~😲。
通常、平家終焉u003d壇之浦と思いがちであるが、平宗盛、盛清親子は捕らえられ、鎌倉の頼朝と面会後、京に返される途中斬首された。
この史実は、知っていたものの、まさかこの場所であったことにびっくり~😲😲😲。
.この後の鎌倉殿の13人で、そろそろ出てきそうな平家終焉。
歴史紀行でここも出てくるかちょっと期待?(^^)
村田製作所近くの国道8号から看板が出てるのでわかりやすいです。
8号ぞいに車を止めて少し奥まで歩きます。
お墓に、看板が立っており、寂しいところです。
歴史的にかなり重要なところなんですね、訪れるまで知らなかったのですが、説明文で勉強させてもらいました。
奢れるものは久しからず。
産廃業者が隣接してる 池も見えない。
平宗盛がこの地に手厚く葬られていました。
平宗盛の長子、平清宗は吾妻鏡によれば野路口、現在の草津市で斬られたと記述され、現に草津市に清宗塚が残っています。
篠原宿で父子が斬られたとするのは平家物語であり、語りものである平家物語としては情感を盛り上げるためにともに斬られたとしたのではないでしょうか。
やはり歴史書である吾妻鏡の方が信頼できるように思います。
平家最後の総大将宗盛と、その子清宗が眠る場所です。
野洲市はここをきれいに整備できないのでしょうか。
忘れさられてる感があります。
祇王井川など平家とは縁のある野洲なので大切にして欲しいです。
お供えにカップ酒とか茶碗などが置いてあるんですけど、放置されたまんまになってて微妙です。
拝んだあと持ち帰った方がいいように思います。
2017/06/11に地元の有志たちが集まって、はじめて宗盛をしのぶ集いをされたそうです。
参道を掃除したり石をひいたりしたそう。
ニュース記事を読み、また訪れてみたいと思いました。
宗盛は平清盛の息子。
壇ノ浦の戦いで源氏に敗れて鎌倉へ護送され、再び京都へ送られる途中、1185(元歴2)年6月に大篠原で源義経が斬首したと伝わる。
現地には宗盛の石塚や案内板、息子清宗の石塚がある。
国道8号と県道158号の交差点あたり。
宗盛は平清盛の息子。
壇ノ浦の戦いで源氏に敗れて鎌倉へ護送され、再び京都へ送られる途中、1185(元歴2)年6月に大篠原で源義経が斬首したと伝わる。
現地には宗盛の石塚や案内板、息子清宗の石塚がある。
国道8号と県道158号の交差点あたり。
すぐそばに産廃のワケわからない工場があって環境悪し。
しかし歴史上重要な場所だと思うので、整備してほしい。
名前 |
平家終焉の地 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
077-587-3710 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.1 |
平家が滅びたのは壇ノ浦ではなくここ野洲だった。
源義経により平宗盛父子を京へ護送中、この地で揃って処刑された。
せめてもの図らいで胴は一緒に埋められ、首を持ち去った。
その処刑後から蛙が鳴かなくなったと云う蛙不鳴池及び首洗い池は無くなってしまったが復活プロジェクトがある。