ところどころに鏡石があったりほれぼれとする石垣たち...
日吉大社へ向かう参道を途中で左折(道標有り)。
案内にしたがうと入り口に至る。
本堂内の受付で拝観料を納めて入場。
御朱印帳の有無を聞かれるので、拝観前に預ける。
寺にまつわる資料多数。
特に小堀遠州作庭と伝わる庭園は県内屈指の名園。
小堀遠州が造った庭です!!と言わんばかりの石庭が広がる。
係りの方に説明をして頂き人出の少なく静かでゆっくり楽しませていただきました。
24年6月5日に訪れました。
比叡山延暦寺の根本中堂の不滅の法灯と同じ灯火が間近で見れました。
拝観受付の方にきくとご本尊さま以外は写真撮影できるとのことでした。
近江富士がきれいに見えました。
天海大僧正(慈眼大師)が都の法勝寺を下賜され創建、江戸時代まで歴代の天台座主を務めた法親王がお住まいになられた。
中では天海僧正のお使いになった紙製の武具など、様々なものを展示してある。
とても素敵なお屋敷でした。
歴史と格式とでも言いますか、近寄り難さを感じる比叡山の門前町坂本にあって、その垣根の低さがとても親しみやすい寺院です。
里坊の町を散策するのに入門編としても、見識深めるのにもうってつけのおすすめ門跡寺院です。
駐車場は共用のところに止めて、ゆっくり歩きました。
雨でしたが、中をゆっくりお参りさせて頂きました。
御朱印も頂きありがとうございます。
唐門と名の通り、麒麟が天上で見下ろし、門の真下から見上げると龍と鳳凰が見れました。
小堀遠州の庭を眺め、展示にその時代に思いを馳せます。
小堀遠州の作庭が素晴らしい。
天台座主の御座もまるで帝の御座で感慨深い。
日本の有名な城の石垣の殆どを積んだ、日本一の石工集団である穴太(あのう)衆が積み上げた石垣にため息が出る。
平成31年4月に拝観しました。
何度目か分かりません。
京阪坂本比叡山口駅から徒歩で行きました。
滋賀院は延暦寺の本坊だという事です。
室内・庭園も撮影禁止でした。
明智光秀に因んだ展覧会が開催されています。
坂本と明智一族の関係がよく分かりました。
滋賀院門跡は、京阪電鉄坂本駅の南西すぐの所にあります。
天台宗の重要な施設です。
京都の北白川にあった法勝寺(ほうしょうじ)を、江戸時代初期に現在地に移し、のち後水尾(ごみずのお)上皇から滋賀院の号を賜わりました。
江戸時代末まで天台座主(ざす)となった皇族代々の居所であったため高い格式を誇り、滋賀院門跡と呼ばれます。
坂本の町には、穴太(あのう)積みの石垣が見事な里坊が数多く残っていますが、中でも滋賀院門跡はひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれて、延暦寺の本坊らしい堂々とした外構えを見せています。
約2万平方メートルという広大な境内は、内仏殿・宸殿・書院・庫裏(くり)・土蔵などが立ち並ぶ。
書院には、江戸時代初めの狩野派の障壁画(しょうへきが)がたくさん見られ、豪華な雰囲気に溢れています。
また、名庭として知られる庭園は、宸殿の縁側から鑑賞することができます。
滋賀院庭園は、滋賀院宸殿の西側に造られた庭園で、小堀遠州によるものです。
縁側からゆっくりと鑑賞できるようになっています。
庭園は細長い形で、縁側の下はすぐに池になっており、池の中央には5mもある実に立派な石橋が架けられています。
石橋を渡ると滝口があり、権現川の水を取り入れた清流が、音を立てて勢いよく流れ落ちます。
古い形式の構造ですが、味わい深くて落ち着く庭園です。
滋賀院にはこのほか、ヒムロスギやアカマツなどの植木だけからなる「蹴鞠(けまり)の庭」と呼ばれる庭園や、明治時代にできた二階書院の庭園などもあります。
とても静かでいい雰囲気でした。
さすが公家様の邸宅と。
庭も良いしね、建物も門跡なんだ~という感じでgoodです。
小堀遠州作庭の庭園も見られ、天皇家から拝領の太陽と二頭の麒麟の掛け軸も下がってました。
京都にはないかなというぜいたくでした。
けっこう、門跡とかあるし見れる大津市、侮れません。
穴太衆の積んだ石垣が、付近のあちこちにあり風情を加えてますね。
天皇さんに関係するお寺。
襖絵が良いのによく見えなかった。
小堀遠州の庭が良い。
庭はすばらしいが、おそらく日を当てないようにするためか、障子を閉め切っているため、景色も見えない。
展示など手書きで何かと工夫されているが、建物やそのほかの部分の手入れが悪く、掃除も行き届いていない。
とにかく広くて小堀遠州の庭園も素晴らしい!伽藍内も見どころ満載でイチオシです!また明智光秀と同一人物とされる南光坊天海が建立した寺院ですので、是非行くべきです。
江戸時代の元和元年(1615)、天海大僧正が後陽成上皇より京都法勝寺の建物を譲り受け、この地に移築したのが始まり。
以後、歴代の天台座主(比叡山延暦寺の住職)の住まいとして存続してきたが、明治11年(1879)、火事で全焼してしまった。
現在の建物は、明治13年(1881)、比叡山の山上にあった建物を移築したものである。
敷地の広さは約一万坪、その中に天台座主の暮らした宸殿、天台座主が日々祈りを捧げた内仏殿(本尊は薬師如来)、勅使門、二階書院、庫裏、台所、土蔵、通用門など、数々の建物が並ぶ。
宸殿の裏には、小堀遠州作の庭園がある。
建物の内部は、狩野派や渡辺了慶の描いた障壁画で飾られている。
その他、歴代天台座主が筆をとった扁額や掛軸、古い屏風絵、仏像や仏画などの貴重な宝物を数多く所蔵しており、見所満載のお寺である。
素晴らしい庭園でした。
2017年5月いつもなら素通りしている滋賀院門跡の中を拝観しました。
写真撮影禁止の張り紙があったので、中は撮っていません。
目につく所に張り紙がいっぱいあっても、ワタクシより年上のご夫婦は、撮影禁止・立ち入り禁止の展示物の横で写真を撮り、奥様の記念撮影までしていました。
(ええ齢をしてイカンだろ~、それは。
) 書院やお庭を拝見し、(「小堀遠州」作の庭です。
)蹴鞠の庭を見、(琵琶湖が借景だそうです。
)これらも全て撮影禁止です。
外国の方のならいざ知らず、大人なんだから文化財鑑賞のルールは守らないと。
他人目が無いからといって、何をしてもいいものではありません。
坂本の麓の石積みを並べた城のような院。
穴太積の石垣が美しい坂本の街の中でも特にここの石垣は美しく、また威厳を感じる立派さ。
これはやはり天台の頂点に立つ皇族からいらっしゃった門跡さんが住まわれた御殿であったから。
寺院である以上に貴人の住まいであると言える。
建物も仏をおまつりするところというより、やはり貴族の住まいである要素が強いように感じた。
ここを訪ねた際に偶然にも現在の門跡さんのお勤めの読経に同席させて貰った。
現門跡さんは当然貴族ではなく比叡山の高僧の方で、坂本のお寺の住職さんを兼務しながら勤行のときに毎日こちらにやって来られるそう。
石畳の道が素晴らしい。
紅葉が特に綺麗でした。
名前 |
滋賀院門跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-578-0130 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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時間がなくて周囲の穴太衆が組んだと思われる石垣を見てまわりましたが、ところどころに鏡石があったりほれぼれとする石垣たちであり周囲を散策するだけでも十分でした。