12代 景行天皇ヤマトヲシロワケ・タリヒコ、13代...
旧い都の跡地。
住宅地の一角にあり見落とし易いが駐車場もあり訪れて歩くには良い場所です。
志賀高穴穂宮 しがのたかあなほのみやは、滋賀県大津市坂本穴太(あのう)町にあったとされる、12代 景行天皇ヤマトヲシロワケ・タリヒコ、13代 成務天皇ワカタリヒコ・ウヂヒト、14代 仲哀天皇タリナカヒコ・カシギネの皇居。
祭神は景行天皇。
伝えでは、第十二代景行天皇が高穴穂宮に遷都されたが、在位3年で崩御され次の成務天皇が先帝の遺徳を偲び、宮中に前王宮として祀ったのが始まりという。
高穴穂宮が廃された後、穴太地域の氏神として祀られるようになった。
高穴穂宮は大津で最初の都と伝えられ、神社の敷地内には、宮の礎石であったとされる「不動石」があり、神社の裏手には、東郷平八郎の書による「高穴穂宮跡」の石碑があります。
鳥居の横に駐車場入り口とありますが、工場の車などが停まっており中に入るとUターンすることが難しいので、鳥居の前に停めるのが無難だと思います。
この神社の言い伝えによると、この地には、今から約2000年前、第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇の3帝の都 「志賀高穴穂宮」(しがのたかあなほのみや)がこの地にあったと言われています。
高穴穂神社の拝殿、本殿の西側を100m程進んだ京阪電車線路近くに、高穴穂宮跡の石碑がありますが、その遺構は発見されていないそうです。
山側には古墳があり、7世紀頃までの住居跡や白鳳期の瓦断片が見つかり、穴太廃寺と名付けられています。
景行天皇はなにがよくてここに宮を作ったのだろう。
というか、景行天皇自身、日本武尊の父親で彼をこき使ったひと、って印象しかないな。
名前 |
高穴穂神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-579-7353 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
高穴穂宮の跡地に建てられたのではないかとの伝承がある。