ここからの琵琶湖の眺めはgood 無料。
静かで展望の良いところ ボダイジュの大木に花🌼が沢山咲いてました。
長等山近松寺(ごんしょうじ)、宗派は天台寺門宗で三井寺のべっしょである。
別名、高観音ともいうのは三井寺の中で一番高い立地にお祀りされた観音様に由来さる。
本堂のご本尊は千手観音菩薩、又、参道入口に「髙観音善光寺如来」とあるように、阿弥陀堂には恐らく善光寺敷阿弥陀三尊が秘仏としてお祀りされているだろう。
ちなみに、近松門左衛門の近松は当寺の寺名にゆらいするそうです。
癒しの自然公園。
昼寝の特設公園て昔の思い出がいっぱいが今もあります。
三井寺の五別所の一つ。
五別所は、平安時代に民衆を救済する為に本境内周辺に建てられた別院。
微妙寺・水観寺・近松寺・尾蔵寺(廃寺)・常在寺(廃寺)があります。
微妙寺、水観寺は現在、三井寺境内に移設されてます。
また、微妙寺の本尊は廃寺なった尾蔵寺の本尊だそうです。
そう言う意味で、五別所で三井寺境内外で唯一残存する別所はこちらの近松寺だけです。
後世に残して行きたいですね。
近松寺の別名は高観音。
本尊は千手観音さん。
近江西国霊場 天台寺門宗 千手観音菩薩。
いいお寺です。
感動しました。
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高観音近松寺たかかんのんごんしょうじ滋賀県大津市逢坂2丁目11-8山号t長等山宗派t天台寺門宗 園城寺五別所本尊t千手観世音菩薩近松門左衛門も当寺で修行したとのこと。
ありがたい寺院なんですが、知る人ぞ知るって感じました!
名前 |
高観音近松寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
077-522-0411 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

知る人ぞ知る、日本の経済と文化の歴史にじつはとても深く関わっているお寺です。
江戸時代初期の浄瑠璃作者・近松門左衛門は、浄瑠璃作者となる前、この寺の奥深く(参拝者の目も届かない場所)に、大石良昭から命を受け、赤穂の塩を海外へ輸出する作戦会議をする目的である塾を開設しました。
この塾は幕府の思惑に反して、赤穂の塩の全国普及と貿易の策を企てるためのものであり、以下のような人々が指導者として集められていました。
1. 海外へ出国したものの、鎖国令で迎えの船が来ない中、なんとかやりくりして帰国した人たち(松浦党の古老や朱印船の船頭、航海技術者)2.出国できず身を隠していたポルトガル人たち3.スペインから追放されたセファルディーと呼ばれるユダヤ系教養人(未公認の亡命者)たちやユダヤ系修道士主として平戸松浦党の協力によりこれらの人材が集められましたが、当時の日本では稀有の『すべての指導者が海外渡航の経験者』という集団でもあり、最先端情報の集積場となっていました。
いわゆる「塩の道」の計画立案と交易の手立てを考えていた近松門左衛門は、高齢の上記2や3の彼らを通訳として連れていくわけにもいかず、スペインの支配地域との交易のため、この塾において、自らもスペイン語を覚えていきます。
中略となりますが、かくして作られた広い交易網の中で赤穂塩の生み出した莫大な利益は、禁裏方(当時財政難に陥っていた天皇家側)の財政支援に繋がります。
また近松門左衛門のスペイン語の知識は、その後、現在もなお文楽の素晴らしい脚本として残る彼の膨大な浄瑠璃脚本作品群に大きく影響することとなります。
近松門左衛門が浄瑠璃作者となる前の10年間を、一部の研究者は『行方不明』としているようですが、じつはここを拠点の一つとして、かように日本経済の礎となる上記のような動きを行っていたことが、彼の子孫の学者により明らかになっています。