スマホを見て歩いてると見逃してしまう。
こんなにも歴史のあるものが、道の片隅にポツンと。
以前は何も見ずに通り過ぎていただけに、その歴史を知って感動。
近くの草津宿本陣も、新撰組近藤勇の宿泊記録があったり、立ち寄らないと損です。
追分とは道が左右に分かれる場所のことだそうで、確かに東海道と中山道の分岐点として歴史的に重要な道標だと言えます。
京都から歩いてきて右折が東海道であり、直進が中山道になります。
逆に京都に向かうのであればここから東海道と中山道の共有区間が始まると言えます。
中山道方面にはトンネルがあります。
旧草津川は天井川ですので明治に入ってから掘られたトンネルだそうで、江戸時代は土手を上って草津川を渡っていたのでしょう。
東海道と中山道の分岐点です。
東から来ると、ここで東海道と中山道が合流し、京まで同じルートを辿ります。
当時の面影を残す立派な道標。
目の前には天井川の草津川もあります。
2016年5月からコロナの影響で1年遅れたけれども.馬籠から草津まで中山道を歩き抜き感無量です。
草津宿本陣に行く途中で発見中山道と東海道の分岐点だと知りました。
近くには草津本陣があり、追分け道標のすぐの、町の施設の敷地に旅を行くと言うタイトルの金属製作のモニュメントがあります、表、裏一対で互いに逆に向かって疾走しています、よく疾走している感じが伝わってきます、以上です・
昔は交通の要所だったらしい。
駅から歩いていくとトンネルを抜けた側にあるため、スマホを見て歩いてると見逃してしまう。
しかしながら東海道と中山道の交差点という重要な場所であることには変わりない。
東海道53次の旅をしましたので道標は大切です。
東海道と中山道が分岐する、歴史的にも大事な道標。
東海道と中山道の合流地点(分岐点)で記念碑が建っています。
川を通り抜ければ中山道、川沿いに進めば東海道です。
ちなみに川は今は廃河川になっていて水は流れておらず公園などになっています。
20年ぶりに立ち寄りました。
20年前、草津川越しに遠望に近江富士を見た記憶がある。
何かの作品に、京都から東海道を昇る際、草津で近江富士を眺めながら左に折れて中山道へ、そして福井藩へ向かう、と書かれていた事を思い出す。
その頃、土手に登ると草津川に水が流れていた。
土手の間に流れていた川が堆積物を運び次第に川底が高くなり、さらに土手を高くするとまた川底が高くなり民家よりも高いところに流れていた。
20年ぶりに寄ったらもう川はありませんでした。
土手に桜が植えられ憩いの場所になっていました。
まさにここが、中山道と東海道の分岐点!東海道を通って江戸へ行くか、中山道を使うか… どちらにしろ江戸までは気が遠くなるほどの距離。
昔の人はすごいな~と感慨深い場所でした。
道標があるだけだが、ここから中山道と東海道が別れると思うと感慨深い。
草津宿の街道散策をしている際に少し高い場所に、東海道と中山道の分岐点である追分道標を見つけました。
「東海道」と「中山道」を分ける道標。
少し地面から盛り上がったところにありますが、昔は道標のある位置に地面があったそうです(つまり、今の道路は削られて下がった、ということ)
中山道と東海道の分かれ道としての道標がある。
観光客は多く、週末は人が絶えない。
名前 |
草津宿 追分道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.0 |
旧東海道52番目の草津宿。
天井川のトンネルを抜ける直進は中山道、右に曲がると東海道のここが追分。
交差点内には、草津市道路元標も現存する。