重量1830トンのペンシルバニアトラス橋。
渡月橋より観月橋の響きが風光を感じて好きだし、観月橋から見えるこの橋も自分にとって特別な憧憬の景色、になりつつある関東住み。
旧奈良電鉄によって宇治川に架けられた下路式曲弦プラット分格トラス橋。
陸軍演習に支障がないよう無橋脚橋梁として建設され,我が国の単純トラス橋で最大の径間長165mを誇る。
関場茂樹の設計で,神戸川崎造船所製作。
宇治川の鉄道景観を代表する建造物。
ブラタモリでみて、ぜひ訪れたいとおもいました。
向島側のたもとから橋を見る。
車で向かいましたが、まぁ、道の狭いこと。
それでも、往来は結構ある。
たぶん、河原のグラウンドに向かう人たちだと思われる。
橋梁のたもとからぱちり。
グラウンドで折り返して往来の途切れたタイミングでぱちり。
電車に乗ったタイミングでもぱちり。
近鉄の橋梁です。
日本陸軍が宇治川で渡河訓練を行っていたらしく支柱がありません。
すごく大きいです。
支間164.9メートル、中央部の高さ24.4メートル、重量1830トンのペンシルバニアトラス橋。
鋼材の大部分はアメリカのベツレヘム社製。
大林組が組み立てた。
(徳永慶太郎 著 「カラーブックス 659 近鉄線各駅停車(Ⅱ) 京都・橿原線」 より)
自分が4歳か5歳くらいのときに、この鉄橋が「観月橋」やとじいちゃんに教えられて、ずっと誤った名前で覚えております。
近鉄電車が轟音をたてて通り過ぎるのを見につれてってもらいました。
実はその鉄橋が、戦前に造られたものであること。
建設するまでのストーリー。
知れば知るほど、凄い構造物なのだな、と感動します。
毎日見ていた時は なんとも感じなかったが久しぶりに見るとカッコいい。
90年以上も同じスタイルで在り続けているとか凄すぎる。
戦前に造られたオーバースペックの遺産。
橋脚のない鉄橋では、日本一の長さ。
生まれ育った伏見の大きな鉄橋にこんな歴史があるとは知りませんでした。
戦時を乗り切った歴史は素晴らしいと思います。
、夕日との写真も綺麗です🌇
鉄橋の見える街宇治川にかかる鉄道用の無橋脚トラス構造の鉄橋。
1928年に建設。
径間u003d164.5m、高さ24.4m、米国製の鋼材を使用し約1,800t長大なワンスパンの単純トラス構造の鉄橋である。
2012年までは日本最長のトラス構造の鉄橋だった。
無橋脚トラス構造となったのには理由がある。
陸軍第16師団隷下工兵第16大隊が伏見南部一帯をその練兵場としていた。
架橋演習、渡河訓練の演習及び練兵に支障を来すとの理由でワンスパンの単純トラス構造となった。
当時としては画期的であった。
実は陸軍は同じような機密保持のため、ワンスパン構造のトラス橋などではなく、地下トンネルによる鉄道の敷設を要請していた。
最終的に高架軌道、澱川橋梁への直結となった。
近鉄京都線は京都駅からこの鉄橋までは高架化されている。
(丹波橋駅付近を覗く)やはり伏見はワンダーランド。
繰り返し申して恐縮だが敢えて言いたい。
この街には「意外とすごい」ものがたくさんある。
この鉄橋をバックに夕日を撮影する人が多い。
ワンスパンのトラス構造は美しいのだ。
力学的に合理的なものは美しいから不思議だ。
この橋の由来を知る前から、僕はこの橋が好きだった。
伏見の街は建物が密集しているので、遠くから見えるわけでもない。
付近を歩いていとふいに見える。
この鉄橋の付近を歩いていることを特に意識しているわけでもないので「ああ澱川(よどがわ)鉄橋か」と嬉しくなる。
商店街で古い友人にふいに出会ったときの感覚に近い。
心の中にある伏見の風景のひとつである。
昭和3年(1928)、近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が奈良·京都間に開通した。
建設当時には、旧陸軍工兵隊がこの宇治川で渡河訓練を繰り返し行っていた。
奈良電鉄の当初案では、七本の橋脚を設けることになっていたが、渡河訓練に支障が出ないよう、橋脚なしの設計に変更された。
また、150メートル以上にも及ぶワンスパンの架橋は、米国製の鋼材と技術で架橋されたという。
大阪湾から船で運び、径間164.5メートル、高さ24.4メートル、使用鋼材約1
昭和3年(1928)、近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が奈良·京都間に開通した。
建設当時には、旧陸軍工兵隊がこの宇治川で渡河訓練を繰り返し行っていた。
奈良電鉄の当初案では、七本の橋脚を設けることになっていたが、渡河訓練に支障が出ないよう、橋脚なしの設計に変更された。
また、150メートル以上にも及ぶワンスパンの架橋は、米国製の鋼材と技術で架橋されたという。
大阪湾から船で運び、径間164.5メートル、高さ24.4メートル、使用鋼材約1,800トンという、日本一長いワンスパンの単純トラス構造の鉄道鉄橋が完成した。
近代日本の産業遺構で、大戦の時代を支えた戦争遺構でもあると言えるだろう。
平成12年(2000)に、国の登録有形文化財となった。
昭和3年(1928)、近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が奈良·京都間に開通した。
建設当時には、旧陸軍工兵隊がこの宇治川で渡河訓練を繰り返し行っていた。
奈良電鉄の当初案では、七本の橋脚を設けることになっていたが、渡河訓練に支障が出ないよう、橋脚なしの設計に変更された。
また、150メートル以上にも及ぶワンスパンの架橋は、米国製の鋼材と技術で架橋されたという。
大阪湾から船で運び、径間164.5メートル、高さ24.4メートル、使用鋼材約1,800トンという、日本一長いワンスパンの単純トラス構造の鉄道鉄橋が完成した。
近代日本の産業遺構で、大戦の時代を支えた戦争遺構でもあると言えるだろう。
平成12年(2000)に、国の登録有形文化財となった。
近鉄京都線澱川橋梁 支間およそ164メートルの鋼製トラス橋である。
ペンシルベニアトラス!
NHKのぶらタモリ伏見編で最後に紹介された鉄橋。
タモリさん喜んでいましたね。
橋脚の無い鉄橋としては日本一の長さだとか、作られてから90年以上経つのに保存状態も良好。
まじかで見ると圧巻。
色鮮やかで、デザインも良し。
名前 |
澱川橋梁 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
鉄橋の見える街宇治川にかかる鉄道用の無橋脚トラス構造の鉄橋。
1928年に奈良電鉄が建設。
径間\u003d164.5m、高さ24.4m、米国製の鋼材を使用し約1,800t長大なワンスパンの単純トラス構造の鉄橋。
2012年までは日本最長のトラス構造の鉄橋だであり当時としては画期的であった。
無橋脚トラス構造には理由がある。
陸軍第16師団隷下工兵第16大隊が伏見南部一帯を練兵場としており、橋脚つきの橋梁では、架橋演習、渡河訓練の演習に支障を来すとの理由でワンスパンの単純トラス構造を要請(内実は命令に近い)した。
実は、陸軍は地下隧道形式による鉄道敷設を要請していた。
演習や練兵の妨げになることに加えて機密保持の観点から、これを要請していた。
この要請は、伏見一丸となった反対運動により撤回された。
隧道を掘削すれば水枯れの危険があり、飲料水と酒造の原料水を井戸水に依存していた伏見としては、まさに死活問題であった。
最終的に高架軌道、澱川橋梁への直結となった。
現在近鉄京都線は丹波橋付近を除き京都駅からこの鉄橋まで、高架化されている。
やはり伏見はワンダーランド。
繰り返し申して恐縮だが敢えて言いたい。
この街には「意外とすごい」ものがたくさんある。
この鉄橋をバックに夕日を撮影する人が多い。
ワンスパンのトラス構造は美しいのだ。
力学的に合理的なものは美しいから不思議だ。
この橋の由来を知る前から、僕はこの橋が好きだった。
伏見の街は建物が密集しているので、遠くから見えるわけでもない。
付近を歩いていとふいに見える。
この鉄橋の付近を歩いていることを特に意識しているわけでもないので「ああ澱川(よどがわ)鉄橋か」と嬉しくなる。
商店街で古い友人にふいに出会ったときの感覚に近い。
心の中にある伏見の風景のひとつである。