実際には建設されなかったようです。
小学生の頃訪れた時にはまだ堀跡が残っていた気がする。
開発により景観がすっかり変わってしまいました。
櫓を立てる許可までは出たが、実際には建設されなかったようです。
絵図に完成した櫓が描かれていないため、実際には建てられなかったのだろう、と言われているそうだ。
勝手に城を増築することは武家諸法度に違反するので、幕府に一々許可を得なければならなかった。
櫓が建てられなかったのは、幕府の許可が得られなかったからだろうか。
若しくは、藩政が逼迫し、建設どころではなくなったか。
用地を準備したが、諸々の事情で用地が無駄になる、なんてのは昔からあるのだな、と思う。
下記の説明書きがありました。
壬生町指定史跡 壬生城東廓『櫓台跡』 昭和64年1月1日指定壬生城は、戦国時代の壬生氏の築城に始まり、明治維新まで存続レました。
戦国時代の壬生城の姿については、詳細は不明ですが、発掘調査で壬生城址公園内から当時の堀跡や陶磁器類が出土しています。
江戸時代になると、壬生城は将軍家の日光社参の際の宿域として整備されました。
元禄年間(1688~1704)に、城主松平輝貞公により東郭が整備され櫓門と丸馬出を備えた大手門が建設されました。
現在の地に『櫓台』を築く願いが壬生藩から幕府に提出され、七間四方(約12m)の規模にするよう計画されました。
しかし、櫓が建設された記録も、また櫓が描かれた絵図面もないことから、実際に櫓の建設まてには至らなかったようです。
この『櫓台』跡は、位置は当時のままですが、規模が縮小しているとともに高さが約2mほど低くなっています。
壬生城東郭の角、櫓台と濠のあった場所。
天守をもたない壬生城ですが、廃城まで遂に櫓が建てられることはなかったようです。
明治以降は隣接する本陣に払い下げられ、庭の築山と池として使われていました。
本陣が取り壊され、分譲地となった今は当時の面影はありませんが、櫓台の一部が小さな公園として残されています。
名前 |
壬生城東郭 櫓台跡 |
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ジャンル |
|
住所 |
〒321-0226 栃木県下都賀郡壬生町中央町7−12−22 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.5 |
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住宅街のど真ん中なので、日中にササッと見学することをおすすめします。