精忠神社の裏にあり碑があります。
精忠神社内にあります。
史跡大正四年の碑があります。
畳を供養した塚。
唯の畳ではなく、鳥居元忠の血液が付着した畳だ。
鳥居は徳川家康の人質時代からの側近の一人で、関ヶ原の前哨戦である伏見城の戦いで討ち死にした。
寡兵で籠城し、勇敢な最期を遂げたことから「三河武士の鑑」と称された。
高校生の時ここで心霊写真を撮ったことがあります。
「続 恐怖の心霊写真集」という本に友人の名で掲載されました。
ちなみに、精忠神社の御神体は、元忠公が割腹の折身に着けていた肌着という事です。
鳥居元忠公が伏見城で自刃した際に敷いてあった、2畳の血染めの畳を納めた塚です。
畳は元忠公の精忠を諸士の手本とするために江戸城の櫓に安置されていましたが、明治維新後に元忠公の子孫である鳥居家が引き取って壬生に運び、いろいろあって最終的にはこの精忠神社境内に埋められたとのことです。
現在の塚は明治時代後半に修築されたもので、周りを土留めを兼ねた石垣で囲い、その上に塚の由緒を記した「畳塚碑」が建てられています。
鳥居元忠公の血で染まった伏見城の畳が埋まってるとか。
名前 |
畳塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
精忠神社の裏にあり碑があります。
詳しい事が書かれている看板があります。