大神神社(おおみわじんじゃ)は栃木県栃木市惣社町に...
東武電車の野州大塚駅から歩いて20分 こちらのお宮さまは奈良の三輪山ふもとの大神神社にゆかりあって同じお名前です どこまでが社地なのかと思ったほどに長い参道が(駅とは反対側)につながり 境内には大木鬱蒼 社殿もご立派で 参拝の甲斐もありました。
様々な歌集で歌に詠まれた室の八島や松尾芭蕉で有名な神社。
下野の国の総社なので、たくさんの神様に出会うことができますよ。
日曜日の昼前に参拝してまいりました。
昨年、奈良の三輪明神大神神社に参拝してまいり、栃木県の大神神社にも是非と思っていたので叶えることができました。
この日は、お祭り(?)、準備(?)と言う事で御朱印は書き置きでしたが、榊と御札をいただくことができました。
派手さはございませんが、趣、歴史を感じる素晴らしい神社でした。
大神神社(おおみわじんじゃ)は栃木県栃木市惣社町にある神社。
式内社(小)論社、下野国総社。
旧社格は県社。
古くは「下野惣社大明神」「惣社六所大明神」「室八島惣社大明神」などの別称があった。
主祭神倭大物主櫛𤭖玉命 (やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)『出雲国造神賀詞』では大物主命を指す。
大神神社(奈良県桜井市)からの分霊。
崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。
意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。
天皇は早速、活玉依毘売の末裔とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。
これが現在の大神神社である。
『日本書紀』では、崇神天皇が大物主から夢で直接に神託を得るまでの亀卜や沐浴斎戒、宮殿内部の潔浄と言った祭祀の過程と内容が詳細に記され、天変地異が収まった翌年に大神神社に奉る酒の管掌に高橋邑の人活日が任命されている。
配祀神木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)瓊々杵命 (ににぎのみこと) - 木花咲耶姫命の夫神大山祇命 (おおやまつみのみこと) - 木花咲耶姫命の父彦火々出見命 (ひこほほでみのみこと) - 木花咲耶姫命の子。
火遠理命に同じ創建社伝では、崇神天皇の時代に豊城入彦命(崇神天皇皇子)が東国平定の折に戦勝と人心平安を祈願し、当時から広く名を知られた室の八嶋(むろのやしま、室の八島とも記す)に、崇神天皇が都とした大和国磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)に座した大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建とされている。
概史平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下野国都賀郡 大神社」の記載があるが、当社をそれにあてる説がありその論社とされている。
また、古代の国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していたが、これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。
当社はそのうちの下野国の総社にあたるとされる。
当社の南方約2.8kmの地には下野国庁跡も発掘されている。
平将門の乱により被害を受けたが、藤原秀郷らの寄進により再建され、室町時代まで社殿は広く立派であったと伝える。
しかし戦国時代に、皆川広照の残兵が当社に篭り、北条氏直の軍勢が火を放ったために焼失し、荒廃した。
その後、徳川家光による社領30石と松の苗1万本の寄進などにより、1682年(天和2年)に現在の形へと復興したという。
しかしながら、実際には明治時代より以前の史料で当社を明確に「大神(おおみわ)」または「大三輪」と呼んだものは発見されていない。
「実際のところは、都から遣わされた国司が大和国の大神神社(大三輪神社)を別の場所で祀っていて、これが下野惣社大明神に合祀され同化した」といった説もあるなど、その歴史は必ずしも詳らかとは言い難い。
明治維新後、明治6年に近代社格制度において郷社に列し、明治40年に神饌幣帛料共進神社に指定、明治44年に県社に昇格した。
1924年(大正13年)に社殿の大改修、1993年(平成5年)に室の八嶋の大改修などが行われて現在に至っている。
なお、古来より社家大宮司は國保家が代々世襲していた。
神階元慶4年(880年)8月29日、従五位下から正五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「三和神」で、当社にあてる説がある。
室の八嶋(むろのやしま)は、古来の和歌などに歌枕として見られる地名。
当社境内の池中の島をその跡と伝える(ただし後世の付会とする説もある)。
奈良時代の昔から、歌枕として都にまでその名を知られ、『万葉集』や『古今和歌集』をはじめとする多くの和歌集などに登場する。
主な歌いかでかは 思ひありとも 知らすべき 室の八嶋の 煙ならでは - 藤原実方(『詞花和歌集』)人を思ふ 思ひを何に たとへまし 室の八島も 名のみ也けり - 源重之女(『続後拾遺和歌集』)煙たつ 室の八嶋に あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける - 大江匡房(『新拾遺和歌集』)いかにせん 室の八島に 宿もがな 恋の煙を 空にまがへん - 藤原俊成(『長秋詠藻』)暮るる夜は 衛士のたく火を それと見よ 室の八島も 都ならねば - 藤原定家(『新勅撰和歌集』)歌枕としての意味木花咲耶姫命が一夜にして懐妊したためその貞操を証すべく、自ら火を放った室の中で三柱の神を産んだ、とされる神話の舞台。
また転じて、竈(かまど)の煙(八嶋は竈の古語であるとの説もある)。
思川の低湿地であることから、水煙や清水の沸く土地。
これらが転じて、燃え上がる恋の炎に身を焼く煙。
糸遊(いとあそび、いとゆう)。
煙が更に転じたものとも考えられるが、「陽炎[要曖昧さ回避]」「蜘蛛が糸を引いて飛ぶ」など作者の真意は様々で、定かではない。
当地を訪れたとされる松尾芭蕉と曾良は『奥の細道』に、室の八嶋の由緒などを曾良の言として記しているが、俳句は載せていない。
しかし、後年曾良が著した『俳諧書留」に、芭蕉の句として「いと遊に結びつきたるけふりかな」が記されており、これが当社の境内に句碑として建立されている。
1869年〈明治2〉3月、江戸後期の俳人である杲雲閣春峰が建立し、江戸後期に活躍した書家の萩原秋巌による筆とされる。
現在見られる「室の八嶋」は、杉木立の中の掘割に、小さな祠を戴く8つの小島がある、およそ800坪ほどの庭園状の場所であり、水煙や湧き水などは観られない。
8つの祠には、筑波・天満・鹿嶋・雷電・浅間・熊野・二荒山・香取の各名神が祀られている。
大神神社(おおみわじんじゃ)は、栃木県栃木市惣社町にある神社。
式内社(小)論社、下野国総社。
旧社格は県社。
古くは「下野惣社大明神」「惣社六所大明神」「室八島惣社大明神」などの別称があった。
「糸遊に結びつきたる煙哉」松尾芭蕉創建は約1800年前頃、第10代崇神天皇の皇子、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)によると伝えられています。
大神神社を室の八嶋大明神ともいい、大神神社内にある八つの島には、それぞれやしろ(浅間神社、二荒山神社、筑波神社、雷電神社、香取神社、鹿島神社、熊野神社、天満宮)を祀っています。
夕方にお参りさせていただいたので、社務所は無人でした。
境内は静かで気持ちがいいです。
こちらの御朱印は、墨に金粉を混ぜているのかキラキラしていて素敵です。
前回いただいた御朱印も載せておきます。
駐車場は、広くて停めやすいです。
下野国を代表する下野国最古の神社 約1
こちらの神社、大神と書いて【おおみわ】と読むそ~です😃👍境内周り、参道etcが昔を思わせる風情ある感じでとても良いです😁御朱印 直書き片面(500円)見開き (1000円)
今年の初詣は栃木県野州大塚駅から約1キロに有る大神神社、東武日光線の行きは接続が良いが、帰りはほぼ1時間に1本の割合で便が良くありません。
駅から徒歩でゆっくり歩いて約15分程度です、去年は10月に奈良県桜井市の大神神社に行きましたが、ここの分霊を纏わる神社です。
駅も無人でのどかな町です。
神社の規模はそれ程大きく有りません、どちらかと言うと地元の神社という感じを受けました。
初めて行ってきましたがとても立派な神社です⛩境内も立派ですが敷地が広くまたその雰囲気は荘厳そのもの。
行ったことのない方はぜひ。
下野國一の宮 室ハ嶋奈良県最古の神社三輪山大神神社の分社です。
今日は余り人は居ませんでしたがおすすめです。
日本最大級の広葉杉があります。
雨の中伺いましたので、「宝の八嶋」巡りは手水舎辺りから見させて頂いただけでやめました。
歴史を感じる参道や社殿です。
日本最古の神社、奈良三輪山大神神社の分祀でとても格式の高い神社です。
杉に囲まれた長い参道を通り、様々な神様が祀られている境内でパワーを貰い、拝殿を参拝させて頂きました。
拝殿脇の社務所で見開きの御朱印を直に書いて頂きました。
4月に流鏑馬があると書いてあったので来年は4月に行こうと思いました。
御朱印は、他に人がいなかったので御朱印帳にじかに書いてもらて嬉しかった😄
栃木県栃木市惣社町に鎮座する大神神社に参拝する。
祭神は倭大物主櫛𤭖玉命。
延喜式内社、旧県社、下野国総社にあたる。
境内には「室の八嶋」があった。
案内板によると神宮寺跡もあるが、わからなかった。
神職は非常駐で太平山神社の兼務だが、2月11日に参拝したときは職員?がいらっしゃった。
もしかするといる場合がある。
大神神社授与所にて御朱印を頂く。
下野の国延喜式内社。
御朱印を頂きに参拝しました。
事前に調べたら、宮司さん不在が多く、心配しましたが、運良く、社務所に宮司さんがおり、直書きで頂きました。
境内社も多く、室の八島には、島一つ一つに祠があり、見処あります。
アマビエさんの御守り¥500と御朱印¥500頂きました。
創建は1800年前とかなり歴史があり、拝殿や本殿も素晴らしい造りです。
室の八嶋、小さな八つの島からなり、それぞれの島に祠が祀られていてその景色は趣があります。
また、一本の杉木から幹が四本に分かれていたり、あまり見たことがない、いえはじめてみました。
二又に別れている杉木はよく見ますが。
いろいろと見処はあるのですが、参拝者は自分達以外はみかけませんでした。
観光色は感じることなく、御朱印も他の人気神社のように色々と趣向を凝らし何種類もあるなんて事もありませんでした。
神職の方が不在の事が多いようで、御朱印は郵送で対応されていました。
封筒や切手代を含めて600円です。
沢山の人に参拝に来てほしいと思う反面、静けさを保ってほしいと感じました。
大好きな神社の1つです。
まず、歴史が感じられる境内と、趣きのある長い参道、狛犬もとても凛々しいなかに愛嬌?があり携帯の待ち受けにしてるぐらいです。
先日予約もせずに5歳の息子の七五三のご祈祷をお願いしに行くと、御朱印のお客様が立て続けにいて混んでいたにも関わらずとても丁寧に女性の神主さんが対応してくれました。
祈祷も心込めて祈っていてただいたので、感動し帰って来ました。
これからも癒やされたい時に、お参りさせていただこうと思います。
是非とも訪れてください、良いところです。
如月父の病気平癒祈願に参詣仕った。
国道より参道へ入り、鮮やかな灯籠に導かれると高き木々に囲まれる厳かな社あり。
鳥居の内は静かで、神気を感ずる。
参拝の後、社務所にいらした素敵な御婦人より御朱印を賜り、私事にも優しく答えてくださりとても佳き参詣となった。
たまに立ち寄る神社。
奈良県の大神神社の分社。
これだけしっかりとした神社は栃木県ではあまり見かけないけど平日は参拝者がほとんどおらず寂しい反面、静かでまったり出来ます。
万葉集や奥の細道でも知られる室の八島も見所の一つです。
静かな 神社です タイミングで 御朱印が 書いてもらえる?? 普段は 書き置きの 郵送らしいです。
20200112ここまで壮大な神社だとは思いませんでした。
延喜式の大神社とされる神社です。
また、下野国の総社ともされています。
南方約3kmのところに下野国府、東方約10kmに薬師寺のある立地から見ても、崇敬の厚かった神社であろうと想像できます。
社殿も重厚な造りで、見応えありです。
御朱印は書き置きの場合もあります。
全体的に寂しい印象でした。
ご神前で参拝中にも関わらず、管理のおじさんが口笛を吹きながらどこからともなく現れて、目の前で社殿の戸を閉めていったのにはびっくり。
せめて神様への挨拶が終わるまで待ってほしかった…。
もう“ただの事務仕事”という感じで残念でした。
でも池を泳ぐ鯉を見ていたら金の鯉が!感激しました。
池が巡っていて、所々末社?摂社?が祀られてます。
池には鯉が泳いでいて、中には金色の鯉がいましたよ。
金運アップ?もしかして鯉(恋)だけに恋愛運アップ? 御朱印は社務所にて頂けました。
元禄2年(1689)3月29日(=3月末日)、芭蕉と曽良は下野国・大神(おおみわ)神社境内にある〔室の八島〕を訪ねている。
〔奥の細道〕の旅で訪ねようとしていた〔歌枕〕の一つだった。
芭蕉がここで詠んだ句は:- 糸遊に結びつきたる煙哉 で、境内に句碑がたっている。
この句は、〔奥の細道〕の本文にはでてこない。
芭蕉一行は、この後、〔金売り吉次の墓〕を見て、鹿沼に向かった。
(奥の細道 ⇒ 日光市立図書館)
広い敷地を持つ、下野国総社です。
室の八嶋は見どころです。
緑に覆われた神社内の雰囲気も素晴らしく、拝殿も大きく立派な神社です。
栃木県内では、オススメの一社です。
歩いて一の鳥居まで行こうと思ってたら、遠くて二の鳥居までにしておきました💦 参拝客より野鳥を撮影に来てる人が何人かいました。
以前は無人で書置きだったようですが、社務所に人がおられ御朱印をいただきました。
無人でしたら太平山神社にて、こちらの御朱印も、もらえるようです。
名前 |
大神神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0282-27-6126 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=1434 |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

下野国最古の神社主祭神 倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)舌噛みそう😵💫別名 大物主大神福の神😐婚姻😯安産😧子育て😀医薬🙂醸造😑方位🧐厄除け😎交通安全🙄受験合格💯商売繁盛😬五穀豊穣😶家内安全等の万能の神様😶🌫️糸遊に結びつきたる煙哉🧐松尾芭蕉創建は約1800年頃第10代崇神天皇の皇子豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)によると伝えられており😯別名を六所明神といい延喜式社の筆頭社となっている春(4月中旬頃)には馬上から弓を射て豊作を占う流鏑馬が😮秋(11月中旬頃)にはおくるめ様と呼ばれる童女が神事に奉仕して五穀豊穣🍙や安産祈願する御鉾祭が行われ大神神社を室の八嶋大明神ともいい大神神社内にある八つの島にはそれぞれ社があり浅間神社😶🌫️二荒山神社😶🌫️筑波神社😶🌫️電神社😶🌫️香取神社😶🌫️鹿島神社😶🌫️熊野神社😶🌫️天満宮😶🌫️を祀っています🧐平安時代以来東国の歌枕として多くの歌人に詠まれその名は都まで聞こえていたらしい😮更にこの祀ってある社の池には金色の鯉が居たのだ😮何とまぁ嬉しいですなぁ🤗壮厳で優しい空気の流れる嬉しくなる神社⛩️です🤗一度足を運んでは如何ですか🧐社務所にはトイレの神様も販売していますよ😯追記何やら呼んでいる気がする🤔12月一週目再礼拝🙇綺麗な銀杏に癒され🙄本殿で癒され😯境内では優しき風が気持ちいい🤗乙巳年の巳の日の1月12日🧐知人と一緒に上り社務所で鯉の餌を購入し待つ事数分...金色の鯉が来ました😀縁起の良い金色の鯉🤗