栃木の古墳では最大のものとのこと。
初めて行ってみましたがなかなか入り口が分かりづらいところでした。
入り口看板見にくいのでご注意を。
墳長128mの国指定史跡。
栃木県内では最大の古墳だそうです。
墳丘が二段に造られていて全長127m・周溝を含む総全長は162mくらいで栃木県内最大の前方後円墳です。
石室は前方部先端にあり奥壁と側壁は、巨大な一枚岩で玄室は、玄武石質の緑色石で造られていて、川原石を積み上げて造った前室になっています。
内側の石表面は赤色の顔料がぬられた横穴式です。
墳丘からは・円筒埴輪・朝顔形埴輪・家埴輪・盾埴輪などが出土していて石室からは、銀装の刀子、金銅製の帯金具、ガラス玉など下毛野国にふさわしくない遺物がでているそうです。
構築方法、出土品などから6世紀後半あたりに築かれたと考えられて下野型古墳とゆう呼称もあるようですよ。
この付近は豊城入彦命が東国統治を命じられて、毛野国ができた地域ですよね。
豊城入彦命の四世孫【奈良別】が、下毛野国造に任じられたと伝わり本拠地は★下野国でこの子孫は、下毛野古麻呂とゆう人物で、この方は奴隷解放を奏上して許可されたり、藤原不比等などと一緒に、大宝令を選定した人物なんですって。
ちなみに★壬生とゆう地名は古代は皇子の養育係の部所で【壬生部】それから江戸時代の壬生藩の鳥居氏が開口して玄門や、天井石を、庭石に使うために持ってっちゃったみたい(^^;玄門、天井石は壬生城跡の敷地内にあります。
栃木の古墳では最大のものとのこと。
古墳ファンなら訪問しておきたい。
石室はないが他はよく残っている。
個人的に古墳とか好きで色々各地を見回りましたが栃木県内で県内最大の規模を誇るこの古墳は航空写真を見ずにそして徒歩ではなく車で回った上、工場裏手の狭い道を単純に一周したかに見えた。
なのでさほど広大な規模ではないかに見えた。
大変お見逸れしましたー。
実際に場所的には雑木林に囲まれた非常に狭い道が先にあったりする場所にあります。
そこがまた渋いです。
場所的・古墳のタイプ的にも個人的に結構好きですね。
大きな前方後円墳。
濠も残っているし雰囲気があります。
大形の前方後円墳。
まめに手入れされているようで歩きやすいですが、斜面がかなり急なので靴はそれなりのものが必要(ひっつきむし対策も兼ねてゴム長がお勧め)。
大雨の後は周濠が湛水して入れなくなることも。
周辺道路が細い割に大型ダンプがバンバン通りますが、車は1台なら何とか止められると思います。
石室の天井石と玄門石は明治時代の初めに上稲葉村赤御堂に移され、長い間農地のど真ん中に立っていましたが、今は壬生町城址公園にあります。
この辺りの歴史的経緯も気になるところ。
立派な前方後円墳ですが、石室があった前方部は崩され無惨な姿に❗❗なぜ石室の一部を移設した❗❔愚か者❗
名前 |
吾妻古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.0 |
青葉の時期でも古墳の輪郭がよくわかります。
壬生城跡公園内に、玄門石、天井石があります。