ご近所さんにあった神社⛩気になっていたので用事の帰...
前から気になってた神社でした。
やっとお詣りできたー。
由緒正しき神社だったのね。
おみくじにある「失せ物出べし!」とはまさにこの通り。
白幡神社は千葉ポートアリーナから喫茶店ブラジルに向かう道沿いにあるため、よく脇を通り過ぎていました。
過去参拝は数回のみでしたが、ワンコと海で遊んでいる内に海中に没した防水ケース入りマイスマホ探索の成功をたまたま参拝時にお願いしたところ、後日奇跡的に見つけられたのは昨夏のことです。
常駐の神主さんもいない小さな神社ですが、何と霊験あらたかなことかと驚きました。
以来、お礼方々時々訪ねています。
街の中に、ひっそりとある小さな神社です。
昔、源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れ、千葉氏を頼り千葉を通過する際に当地に鎮座していた結城稲荷の境内に陣をかまえ、源氏の白幡を立てたことから、白幡神社と称されたようです。
現在放送されている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、出てきませんでしたが。
宮司も常駐してないこじんまりとした神社なので、駐車場はありません。
参拝の際は、公共交通機関を利用した方がよいです。
駐車場🅿→無いです。
車で行くときは厳しいです。
狛犬は一対と、片割れが燃えてしまった片割れがいました。
彼岸花が片隅に植えてありました。
由緒ある神社らしくて、とてもすばらしい。
ご近所さんにあった神社⛩気になっていたので用事の帰りに寄ってみました!雰囲気もありいい感じの神社でした⛩
千葉県内には、白旗/白幡神社が点在します。
それがちょうど、源頼朝が、石橋山の合戦に敗れて海路安房国へ落ちのび、捲土重来、房総半島の内湾側を陸路鎌倉へ向かって進軍していったルートに重なるようにも見えるので、多くの神社が「頼朝が陣を張り、源氏の白旗を掲げたからシラハタだ」といった伝承を持っています。
また、神奈川県内のシラハタ数社も、頼朝の事跡とからめて、社号を説明しています。
それはそれで事実でもあるのでしょうが、シラハタ神社は頼朝以前からあったものと思います。
個人的には、「シラ」=新羅、「ハタ」=秦、で、古代の戦乱を逃れて日本に渡来してきた住民の足跡を示している可能性があると思っています。
藤沢にある白旗神社のWEBサイトでは、「白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました」と述べています。
この千葉の白幡神社も、近くにある寒川神社の摂社であるといいます。
「寒川」も、古代朝鮮語由来との説もあります。
千葉は、日本国内でも古墳の数が多い土地でもあり、こちらの白幡神社も古墳のそばに祀られていることから、長い歴史を持っていることが想像できます。
--------------------- 引用ここから --------------------この辺は江戸時代以前までは結城野と呼ばれていました。
当社の伝承では、「昔は結城稲荷と呼ばれ倉稲魂命を祭神としていた。
治承4年(1180)、石橋山の合戦に破れた源頼朝は、再挙を図り千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する時、結城稲荷の境内に源氏の白旗を立て、その1旒を奉納したことより白旗(幡)大明神と呼ばれるようになった。
」と伝えられる。
また江戸時代初期の『総葉概録』には「白幡八幡」と記され、江戸中期の『千葉盛衰記』には、前記伝承を記している。
明治になって白幡神社とその社号を改めました。
神社は、古墳の上かまたはその側に祀られたものと思われ、昭和31年2月3日神社の境内からは古墳時代後期(1400~1500年前)の金銅装飾直刀2振が出土している。
現在の地名、千葉市中央区新宿。
昔の地名、結城昔、結城稲荷が鎮座していて、源頼朝が千葉に逃れ、千葉氏がはせ参じた。
この結城稲荷に白幡をたてて、1本を奉納したとの事。
それから、白幡大明神と呼ばれるようになったとの事。
車が良く通る通り沿いですが、境内の中は、し~んとしています。
また、神社の隣、田子作煎餅屋さんは、素晴らしく美味しいです。
おすすめです。
治承4年(1180年)9月17日、源頼朝が千葉城の城主千葉常胤に味方する ように求めた際、結城稲荷の境内に源氏の白旗をたてて奉納したとのこと。
それ以降白旗大明神と称し、明治に至って白幡神社と社号を改めたそうです。
非常にこじんまりとした神社。
正月2日に訪れたが、一人っ子ひとりおらず閑散としていた。
おそらく元日のみ神社の関係者がいるのだろう。
千葉に引っ越してから自転車で参拝させて頂いた地域密着型の神社です。
社務所は行事のある時しか人はいないと思います。
疱瘡神のお社が印象が強い神社です。
小さな社殿の神社です。
交差点の所に駐める以外駐車場は近くに無いようです。
無人のようで御朱印は頂けませんでした。
県道217号線”白幡神社前”交差点の西側に有ります。
歴史ある神社。
名前 |
白幡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
白幡神社 祭神 誉田分命結城稲荷神社 祭神 稲倉魂命このあたり一帯は古く結城野という、現在の地に当時、結城稲荷 と呼ばれている社がありました。
治承四年九月 (1180年) 安房勝山から北上した源頼朝がここに到着し、この稲荷社に白旗を献上して、源氏の再興を祈願しました。
以後この社は白旗大明神と称されていましましたが、明治初年 結城稲荷と分社し、 白幡神社と社号を改め現在に到っています。
昭和三十一年二月境内より古墳時代末期(一四〇〇~一五〇〇年前) の金銅装飾直刀二振りが出土しました。
これによって、この地の先端に古墳が築かれ聚落があった事と推定されます。
【現地案内板より抜粋】本千葉周辺の散策メイン、君待橋からの白幡神社、市街地にありながら、以外と楽しめるコースです。