名前 |
青木昆陽先生碑銘 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
教科書で江戸時代について習う時、さつまいもを全国的に広めて飢饉から救った人物として暗記したと思います。
青木昆陽は元禄11年(1698年)江戸日本橋で魚屋の息子として生まれました。
赤穂浪士の討ち入りが1702年なのでちょうど徳川綱吉が将軍の頃です。
その後儒学を学び、南町奉行大岡忠相に取り立てられ、古文書の研究に励みました。
享保の大飢饉が起きた際、時の将軍吉宗に人々を飢えから救う方法としてさつまいもの特性や栽培方法を記した「蕃薯考」を1735年、献上しました。
吉宗はさつまいもの試作栽培を昆陽に命じ、幕張や、九十九里、小石川養生園で行い、収穫を得る事が出来、享保の飢饉だけでなく、天明、天保の飢饉の際にも多くの人々の命を救う事が出来たそうです。
その後の昆陽はさつまいもからは離れ、幕府の書方に取り立てられ、古文書や蘭学も学び、解体新書の前野良沢に蘭学を教えて蘭学の始祖になりました。
目黒不動尊には青木昆陽のお墓があり、又幕張には昆陽神社があります。
芋神さまとして親しまれています。
この碑は仁王門を入って左手でとても背の高い碑で明治44年(1911年)建立です。