七代目だからだそうです。
足利尊氏ゆかりの神社。
1333年、高氏は1万騎あまりの軍をこの地に集め、源氏復興を願う願文や鏑矢を奉納し、旗立楊に白旗を立て、六波羅探題を攻め倒しました。
現在でも白旗が翻った場所には楊の木がそびえ、往時を偲ぶことが出来ます。
足利尊氏が鎌倉幕府から離れて挙兵する時に、ここに足利家の二引両を掲げて、馳せ参じる武士たちの目印にしたと歴史書『梅松論』にあります。
今の楊は7代目だそうです。
ヤナギではない。
?マルバヤナギか、これは?楊と柳。
訓みはどちらも「やなぎ」だけど、枝が垂れ下がるのが柳。
枝が立ち上がるのが楊。
古き良き時代の有名な戦士アシカガが鎌倉時代の幕府を崩壊させる旗を掲げた地面。
歴史的記録によれば、1071年にミナモト・クランによって神社が設立されました。
神格が祀られている主要な建物は印象的な建物です。
(原文)The place is known as a ground where oldtime famous worrior Ashikaga raised a flag to subvert Shogunate of Kamakura Period. According to the historical record the shrine was established in 1071 by Minamoto Clan. The main structure where the deity is enshrine is a quite impressive building.
篠村八幡宮 足利高氏旗揚げ1333年4月29日鎌倉幕府に対しての足利高氏旗揚げの地。
ここで六波羅を打ち北条幕府を倒すことを宣言している。
旗立楊(はたたてやなぎ)足利尊氏はこの楊(やなぎ・柳とは別の品種の木)に足利家の家紋(二引両・にひきりょう)の入った白い旗を立て挙兵に賛同する武将らの到着を待ったと言われています。
元弘3年(1333年)に尊氏が幕府打倒の旗(源氏白旗の二引両紋)揚げした楊(6-7代目)『梅松論』この木は柳ではないそうです…
元弘3年(1333年)に尊氏が幕府打倒の旗(源氏白旗の二引両紋)揚げした楊(6-7代目)『梅松論』この木は柳ではないそうです…
名前 |
旗立楊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
鎌倉幕府の有力御家人であり北条得宗家の縁戚でもあった足利高氏が、後醍醐帝側に与して倒幕の挙兵に踏み切った事蹟を今に伝える場所がこの柳(楊)ですが、余り古木の雰囲気が感じられにくいのは、七代目だからだそうです。
(建武政権成立後に後醍醐帝から『尊』の一字を賜ったので、篠村八幡での挙兵時点では『高氏』です)曇天の薄暮でしたが、芽吹いたばかりの楊と、傍らに名残の枝垂桜が閑かに並んで興を添えていました。