昔はこの道人力車が行き交い、宿屋が沢山あったらしい...
京都側から老の坂トンネルの手前を左の小径に入る。
舗装されているものの、落石が多く、緊張する。
ドンツキを左に。
鉄柵に閉ざされた道の傍らに石の道標が立つ。
いつからあるのだろうか?裏側なども見たが、建立の日付などはなかった。
天正10年6月2日(1582年6月21日)未明、行軍を止め、馬上から道標を見つめる武将がいた。
乾坤一擲。
「敵は…本能寺っ!」…というのは妄想です。
大枝山下山した所に有り、国道9号線が出来る前、昔はこの道人力車が行き交い、宿屋が沢山あったらしい、京都と丹波の堺。
近くに首塚大明神有り、かなり荒れていた、大きな大木き雷落ち、中が黒く焦げていた。
国道9号線から脇道入って走らせたらポツンとありました。
西は丹波国で東は山城国の国境。
丹波側の道は鎖で塞がれていて通行禁止でした。
隣には酒呑童子の首を祀った首塚神社がありました。
フェンス脇をすり抜けて大枝山に向かいます。
NNT中継所周辺は木々が伐採されて開発の最中です(2018/4)。
名前 |
従是東山城国 道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ni015.html |
評価 |
3.7 |
味方の救援で中国地方に向かうはずの明智光秀が、この辺りで「敵は本能寺にあり!」と叫び、京都へ進路を変えたとされています。
(本能寺の変)