不具であったため葦の舟に乗せられ海に流されたという...
神仏習合で?神社が水子供養なんだと思います。
赤い鳥居が華やかに見えますが…。
水子供養施設です。
m(_ _)m
猫いっぱいいた。
令和元年5月20日参拝。
大杉神社の境内社です。
ちょっと離れた場所に鎮座しています。
水子供養の神様のようですが、社殿はかなり地味な建物でした。
父イザナギノミコトと母イザナミノミコトの第一子であるヒルコノミコト別名エビス大神は、不具であったため葦の舟に乗せられ海に流されたという。
その後、父母のために富を宝船に乗せて帰ってくるという伝説があり、恵比寿像は必ずと言っていいほど宝船に乗り小脇に鯛を抱える図で描かれている。
こうした伝承もあり、水子を祭ることは一家の繁栄と安泰をもたらすとして、 江戸時代には多くの地域から大杉神社境内の葦船社に参詣したそう。
その葦船社を再興したものが葦船神社。
御祭神は、水子を守護する蛭子命と冥界を守護する大国主命ということです。
お社のなかに塔婆があったので不思議に思っていましたが、水子を祭る神社だったんですね。
古事記などにもイザナギとイザナミの第一子は不具者で葦の船で流したとありますが、その後の事はかかれていません。
神仏集合の時代に造られたお話なのだと思います。
大杉神社境内に鎮座する水子供養の神社。
水子の守護神であられる蛭子命(ヒルコノミコト)が祀られている。
『古事記』において国造りの神、伊弉諾命(イザナギノミコト)と伊弉冉命(イザナミノミコト)の間に最初に御生まれになられた神が蛭子命である。
しかし御生まれになられた時から体が不自由で、成長しても足が立たなかった為、葦舟に乗せられ淤能碁呂島(おのごろじま)から流されてしまう。
蛭子命を乗せた葦舟はやがて摂津国西の浦(現 兵庫県西宮)に流れ着き、海から着た蛭子命を夷三郎(えびすさぶろう)と呼んで大事に育て、やがて戎大神(えびすおおかみ)として祀られるようになった。
こうした伝承もあって水子を祀る事は、一族に繁栄と安泰をもたらす戎大神を祀る事と同じとされ、江戸時代になると大杉神社境内の葦船社は多くの人から信仰を集めた。
現在大杉神社では廃絶に近い形だった葦船社を『葦船神社』として再興中である。
黒と銀とを基調とした豪華で落ち着きのある社殿には、幼くして天へと帰った我が子に愛情を注げなかった親達の多くの思いと願いが込められているかも知れない…。
父イザナギノミコトと母イザナミノミコトの第一子であるヒルコノミコト別名エビス大神は、不具であったため葦の舟に乗せられ海に流されたという。
その後、父母のために富を宝船に乗せて帰ってくるという伝説があり、恵比寿像は必ずと言っていいほど宝船に乗り小脇に鯛を抱える図で描かれている。
こうした伝承もあり、水子を祭ることは一家の繁栄と安泰をもたらすとして、 江戸時代には多くの地域から大杉神社境内の葦船社に参詣したそう。
その葦船社を再興したものが葦船神社。
御祭神は、水子を守護する蛭子命と冥界を守護する大国主命ということです。
お社のなかに塔婆があったので不思議に思っていましたが、水子を祭る神社だったんですね。
古事記などにもイザナギとイザナミの第一子は不具者で葦の船で流したとありますが、その後の事はかかれていません。
神仏集合の時代に造られたお話なのだと思います。
装飾や色彩が異質。
名前 |
葦船神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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境内から奥に離れてございます。