桜に迎え入れられているような温かみのある場所。
井上井月句碑(六道の堤) / / .
桜がきれいで、あまり混雑していない、のどかな場所でした。
満開の桜が湖面に写り、残雪の中央アルプスと併せて絶景としか言いようがありません。
何時までも居たくなりますよ✌️
昨今のコロナの影響で有名な花見の場所は閉鎖されていますが、こちらは、人も少なく、短時間ですが綺麗な桜🌸を見ることができました。
湖面に映る桜や木々と桜のトンネル風な感じ、遠くに中央アルプスも眺望できる風景と、気分が穏やかな感じになりました。
桜が見頃できれいです。
浮島と高遠コヒガンザクラとアルプスがマッチして絶景でした。
「柳の家井月」「北越漁人」などとも号した「井上井月」は、1822(文政5)年に越後長岡藩で生まれ、1858(安政5)年忽然と伊那谷に姿を現して以来、同地で放浪の生活を続け、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んだ俳人だ。
当地の女や子どもたちは「乞食井月」と忌み嫌ったが、趣味人の男たちの中には師事する者もいたという。
戸籍法をうけ、1884(明治17)年には美篶村(現在の伊那市)塩原折治(梅関)の厄介人として塩原家へ付籍して「塩原清助」を名乗った井月だが、1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したという。
ここ「六道堤」の句碑「何処やらに寉の声きく霞かな 井月」(どこやらにたずのこえきくかすみかな)は、はじめ1940(昭和15)年3月に美篶小学校裏(美篶太田窪)の路辺に建立されたが、1967(昭和42)年ここに移されたという。
またこの句碑の筆跡は、臨終にあたって六波羅霞松の求めに応じた絶筆で、井月の書や句を惜しんだ堀内謙亮(素山)が中心になって建立した井月の初めての本格的句碑だという。
名前 |
井上井月句碑(六道の堤) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
桜に迎え入れられているような温かみのある場所。