名前 |
河原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
旧村社。
御祭神:河原次郎盛直。
創建:年代不詳(室町時代相当)。
ここ児玉町大字秋山にある当社は、『児玉郡誌』は当社の創建を文明十八年(1486年)とし、一説に河原兄弟の縁故者が秋山に来て居住し、その主君の霊を祀ったとの伝えを載せている。
とあります。
河原兄弟とは武蔵七党私市党(きさい)に属する河原氏の兄弟で(兄・太郎高直、弟・次郎盛直)、『平家物語』に生田の森の合戦において、源範頼に従い先陣を遂げて討死にしましたが、挿話と名声をもって伝えられています。
河原氏は埼玉県河原村(行田市辺り)が所領地で、河原兄弟の兄の領地を南河原、弟の方を北河原と呼んでいたそうです。
行田市南河原には、武蔵守に任じられた平賀冠者義信が先祖以来信仰していた、住吉の神を祀るために勧請した河原神社がありますが、河原兄弟との関係は見られませんでした。
ここ秋山には河原氏が管理していた牧場があったそうで、当地を領有していた関係から、その縁故者がここに当社を勧請したいきさつがうかがえます。
ここの当社に、弟の次郎盛直を祀り、隣村風洞分に兄の太郎高直を祀った同名の社があるとありますが、風洞分の社は分かりませんでした。
尚、河原兄弟の名声はその討死にした地にも残り、神戸市中央区三宮町の三宮神社の境内には、生田の森で先陣を遂げて戦死した、河原兄弟を祀る河原霊社と塚があるそうです。
(ちなみに神戸名物の「かわらせんべい」は、この兄弟の名をとったものだといわれているそうです。
)かつての牧場とあるように、当所は秋山十二天山へ向かう(南方)登坂前の閑静な山麓の田園地帯でした。