盲人の保己一に晴眼者がこぞって(人生の)道をたずね...
盲目の国学者の塙保己一に興味があり訪問。
リアル群書類従の沢山の量に圧倒された。
ヘレンケラーが励みにして尊敬していた話や、保己一の抜群の記憶力の話は心に残りました。
埼玉県が誇る三大偉人のお一人です。
教科書しか知らなかったですが、見学するとたくさん情報が記念館内に展示されています。
入場料無料です。
R6年11月からクイズラリーやってます。
次回はチャレンジしてみたい。
盲目の国学者、埼玉の3偉人の1人!その人生たるや、壮絶!これを知らして、埼玉県人を語ることなかれ!いや、本当に素晴らしいです!荻野吟子とのつながりもわかります!
「番町で目明き盲に道をきき」江戸の番町は塙保己一の開いた和学講談所の在った場所で、この川柳は、盲人の保己一に晴眼者がこぞって(人生の)道をたずねる様を面白おかしく描写したものとなります。
保己一は盲人でありながら驚異的な記憶力をもって学問を修め、盲人の生活安定と国学の発展に大いに貢献した人物として知られています。
同じ国学者であっても、時に批判の対象となる本居宣長や平田篤胤と異なり、篤実な人格者と認知されていますが、生き馬の目を抜くような盲官の世界にあって、総検校にまで登り詰めた政治力は並のものではありません。
宣長が町医者で生計を立てつつ研究を続けていたのに対して、保己一はパトロンをがっちりと確保していたうえに幕府の支援まで取り付けていました。
保己一の業績のうちでとりわけ重要なのは、国学、国史に関する古今の文書を網羅した一大叢書である「群書類従」「続群書類従」の編纂となりますが、門外不出のものをふくめ、貴重な資料の数々を確保できたのは保己一の人脈と影響力の賜物です。
本庄市立塙保己一記念館は、保己一の出身地である現在の本庄市児玉にある施設で、保己一の生涯と業績をわかりやすく解説しています。
これぞと言うほどのお宝はないものの、展示されている資料は網羅的で充実しています。
保己一の事業家、実業家としての側面にも言及していて、興味深く感じられました。
JR八高線児玉駅からは歩いて一〇分ほどですが、列車の運行本数が限られているのであまり便利ではありません。
ただ、近くまで来たなら立ち寄って損はないと思います。
塙保己一は、江戸時代の中頃、延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。
7歳のときに病気のため失明し、15歳で江戸に出て、当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。
34歳のとき”世のため、後のため”に「群書類従」の編さんを決意し、以後40数年の年月をかけて失われつつある各種文献を収集してまとめた「群書類従」を完成させました。
「群書類従」正編666冊、続編1185冊は、現在、日本の文学・歴史等を研究する上で欠くことのできない重要な資料となっています。
また、和学講談所の設立及び運営をし、国学の発展に大きな業績を残しました。
さらに、文政4年(1821年)には、当道座の最高位である総検校に昇進しました。
記念館はそれ程規模は大きくはないですが、資料、保己一の人生を綴った動画もあり、無料で楽しめます。
記念館の外には塙保己一の銅像もあり、ヘレン・ケラーも敬愛した保己一について知れたので寄って良かったです。
塙保己一についてはもっと評価されていいと思います。
塙保己一は埼玉県の三偉人で群書類従を編纂した盲人の塙保己一です。
児玉郡の保木野村の生まれです。
以前は雉岡城跡の中にありましたが、児玉町が本庄市と合併した時、旧児玉町役場の所に、塙保己一記念館を建てました。
見学は無料です。
埼玉三偉人の一人、塙保己一(はなわ・ほきいち)ゆかりの史料を展示している。
塙の故郷、旧児玉町は平成の市町村合併により本庄市に編入となり、記念館は本庄市児玉総合支所に併設という形になっている。
展示スペースは広くはないが、失明にいたる経緯や江戸での苦学、群書類従編纂と同時代人による支援、故郷や亡き母への思慕と信仰心、大出世したのちの和学講談所の様子などがテーマ。
古文書中心の展示と思いきや、本人の愛用品が多数展示されていたり、群書類従666冊がどれだけのボリュームなのか、どのようなジャンルを蒐集したのか一目でわかるビジュアルな展示がされていたりと、飽きずに最後まで見られるよう工夫されている。
群書類従の版木が、現在も都内研究機関に散逸せずに保存されているのは驚きであった。
訪問した2022年6月には、「塙保己一の奉納刀」が特設スペースに展示されていた。
奉納用ということで当初から拵えのみ、褪色も著しいが、貴重なものであろう。
展示室外に、ヘレン・ケラーや埼玉三偉人の他の二人(渋沢栄一と荻野吟子)との関わりを示すミニコーナーもある。
見学時間は1時間程度。
来館した視覚障害者用の補助としては、オンデマンドの音声解説(ヘッドホン付き)や、銅製の保己一像を触れるコーナーがある(ヘレン・ケラーが触れた銅像のレプリカとのこと)。
江戸時代の盲目の国学者、塙保己一の偉業を伝える記念館です。
建物は新しくキレイです。
駐車場も広いです。
本庄市が世界に誇る偉人、塙保己一の記念館。
塙保己一のことはあまり知らずに、こちらに来ましたがいろいろなことが知れて面白い記念館でした。
あの有名なヘレンケラーが人生の目標にしたというのは驚きでした!高齢者や障害がある方にも配慮されていて誰でも楽しめる記念館ですね。
建物もデザイン性があって素敵です!
この町が児玉郡児玉町だった30年も前、足繁く町役場に通っていた。
塙保己一の生誕地であることは、その時に知ったが、取立てて興味を持つこともなかった。
先日、四ツ谷界隈を散歩した折に、塙保己一の名前を見て、30年の時を経て保己一が蘇って来た。
昨日からの怒りの感情を抑えることもあり、各駅停車の旅に出た。
熊谷で秩父鉄道に乗り換え、寄居で八高線に乗り児玉駅で下車。
駅前の通りを雉岡城址に向かい。
更に記念館を目指すことにした。
館内はひっそりとしていて、人混みの嫌いな私に取っては好都合でした。
【これはもっと評価されるべき!】舐めたらアカン!ってことで星5つけました。
開館と同時に訪れたこの記念館ですが、正直行くまでは塙保己一って誰?w 日本史の教科書でひょっこり出てたくらいの記憶で全く知らなかったです。
中に入るとめちゃくちゃ内装キレイでした!特にトイレがね。
トイレが綺麗がキレイなのはポイント高いっすよ。
まずは12分くらいの塙保己一の一生を解説した動画を視聴。
これを見るだけで正直まぁまぁ知識は得られます。
ヘレン・ケラーとの繋がりがあったのは知らなかった。
歴史好きな人はあっという間な時間かもしれないです。
NEXT!展示会場の展示形式は円形の平面巡回型で、塙保己一の生から死、その後の順番で展示されている感じです。
あ、これさっき見たやつだわ!みたいに映像で見たものを生で見ると迫力やリアルさが違いますね。
群書類従ってこんなにあんのかよwと終始すげぇーって感じで大体30〜40分あれば十分見れると思います。
建物や会場自体はコンパクトですが、内容はかなり濃く、初心者にも優しかったです!入場無料なので気軽に訪問できると思うので少しでも時間があったら是非‼️
塙保己一記念館を訪問。
盲目になりながら群書類従をまとめる、といった知識のみでの訪問。
原稿用紙20×20、間にマス目のない一行はすべてこの群書類従の版木からはじまったのか。
ヘレン・ケラーが、塙保己一を知っていたのも驚き。
小さくとも、塙保己一の一生や、群書類従についての展示はなかなか見応えがありました。
塙保己一関係の展示と市役所の支所があり、公民館機能も併設。
塙保己一関係は比較的軽い展示。
埼玉の偉人と知ってるつもりになっていました。
ここを訪れるまでは。
塙保己一の名前を聞いたことがあるならば、是非とも訪れてその功績をその目に焼き付けて欲しいと思える場所です。
是非、訪れていただきたい場所です。
塙保己一先生の生涯の足跡は、現代に生きる私たちに取っては、道しるべとなるものが沢山あります。
ヘレン・ケラーのこころの師匠である塙保己一。
実際の業績を見て、すごさがわかりました。
塙保己一さんの功績が分かりやすく展示されていた。
塙保己一先生の成し遂げた素晴らしい功績に触れる事ができました。
郷土の文化を残す良さや塙保己一の生涯を知ることができるステキな場所でした。
江戸時代の国学者、塙保己一の事績を記念して建てられた保己一ゆかりの品が保管される展示館です。
私、塙保己一という方を存じなったのですが、すごい人がいるものだと感心してしまいました。
盲目というハンデを追いながら群書類従と呼ばれる古文書の叢書を40数年かけてまとめ上げた意志の強さは心を打たれます。
かのヘレンケラーも母親から保己一を手本にしろと教育を受けたそうです。
ヘレン・ケラーも尊敬する塙保己一の記念館です。
無料で観賞できます。
塙保己一の足跡を辿る貴重な記念館です。
無料駐車場があり30台位は停めれるでしょう。
荻野吟子さんの様に、是非とも映画化して頂きたいですね。
とてもキレイな施設で展示品をゆっくり見ながら楽しめます。
本庄市に行った際に観光できる場所をスマホで探していた際に見つけて行ってみました。
塙保己一氏のことは今まで知らなかったのですが、この記念館を見て偉人として讃えられる理由がよく分かりました。
入場は無料、展示室とホールのようになっているところがあり、ホールでは映像を見ることができます。
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者。
幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。
また、一時期、多聞房(たもんぼう)1,とも名乗る。
雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。
『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。
総検校。
贈正四位。
四男は、国学者の塙忠宝である。
※HP参照。
埼玉の三偉人の1人。
勉強しに行きましょう。
塙保己一のことがわかります。
雉岡城址。
別名八幡山城の敷地内に建つ資料館です。
名前 |
本庄市立 塙保己一記念館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0495-72-6032 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~16:30 [月] 定休日 |
関連サイト |
https://www.honjo-kanko.jp/sightseeing/hanawahokiichkinenkan.html |
評価 |
4.1 |
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