本庄の領主だった方なのですね。
豊臣秀吉の小田原北条氏攻めで滅亡した本庄氏の後に本庄に入った徳川家康の家臣、小笠原信嶺の墓です。
本庄城は直に廃城になりますから、歴史のひとコマです。
古墳の上に印塔は興味深いです。
(本庄市指定文化財)小笠原信嶺氏は、天正18年(1590年)に家康が関東に入部した際、武蔵児玉郡本庄に1万石を与えられ、本庄城主(本庄藩の藩祖)となる。
本庄氏時代の城を廃し、久城掘り西側に新たに城を築き、低地である花の木で生活していた住民を台地へ移住させ、新しい町造りを開始した。
翌年の天正19年(1591年)には、夫人の兄である甲斐国・永岳寺(山梨県韮崎市大草町下条西割)の救山宗温を迎え、自らが開基となり、畳秀山の開善寺(小笠原氏の菩提寺と同名の寺)を本庄宿の中宿(その後の仲町に当たる地域)に建立した。
とあります。
1590年から1598年までの間、本庄の領主だった方なのですね。
名前 |
小笠原信嶺公廟所古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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祭り山車倉駐車場少し拝借。
徒歩二分、道路脇にはにぽん石像あり。