井戸の周りに地域猫が複数住み着いていました。
新宿―八王子駅間に汽車が走って甲武鉄道(現JR中央線)が開業した5年後の明治27年(1894)11月、青梅鉄道(現JR青梅線)立川―青梅駅間が開業して小作駅ができた。
用地を提供した下田伊左衛門はじめ、玉川上水水番人(下陣屋)であり、大日本蚕業組合中央部議員、羽村銀行創立発起人を務めていた指田茂十郎ら発起人15人や近在の人々の寄付による建設費190円50銭を投入して井戸を掘ったという。
羽村の高台に駅舎を設置したものの、周辺は広漠とした耕地で、生活用水にも事欠いていた。
それを賄おうと井戸が掘られた。
明治、大正、昭和に渡って小作井戸組合が維持管理した。
この井戸がきっかけの一つで駅周辺に人口が増え、産業集積地となった。
駅と井戸の建設が小作台開村につながったことを記す記念碑が井戸と並んである金刀比羅神社境内にある。
井戸の深さは27m。
いまは1m四方ぐらいの木製の蓋がしてあり使われてない。
ここにいってみた!と報告したら、「井戸というのは、夏は水位が高く、冬は水位が低い、2月ごろ枯れたりする場合があるから、掘りなおしたり、2つ目を掘ったりしたことがあった」という話をしてくれました。
近くに2つ目がないってことは、土地がよかったのかな?技術がよかったのかな?
小作駅のすぐ脇に井戸の史跡があります。
この辺りは昔は井戸を掘るのに大変な地だったと聞いています。
貴重な史跡なのだろうと思います。
Japan has been known as a well since ancient times, and it is a place that teaches the importance of water井戸のまつわる歴史話しは好きです。
子供の頃から田舎へ行くと何処の家でも井戸が有りおじいちゃん、おばあちゃんにお水の大切さを学びました、今では井戸水が汲み出せる井戸は見なくなりましたが、あの幼少期時代の会話など今でもflashbackしてきます。
先人たちの苦労と努力の賜物が今の水文化を支えているのではないでしょうか?
羽村駅の隣の小作(オザク)駅にそれはあるのだそうだ。
駅の開発で無くならないで、わざわさ保存されているのだから、歴史を伝える為にそのまま守って貰いたいですね。
この井戸のお陰で地域の暮らしが格段に便利になったのでしょうね。
感謝です。
友達の入院見舞いに行くためエスカレーターを降りたらありました。
大切に保存されているようです。
この辺りは河岸段丘の上なので地下水位が低く井戸が深いようです。
1894年に作られた井戸。
深さ27メートル。
井戸で27メートルって深いね。
小作駅のペデストリンデッキの下にひっそり残る井戸です。
すぐ近くの金毘羅様と同じく鉄道ができた明治27年に掘った井戸だそうです。
当時はSLなんで運行には水が必須。
ここから多摩川までは500mほど離れているのでここで汲んでSLに補給したのかな。
電化されペデストリアンデッキができてもまだ井戸を置いとくって相当な想いがあったものと思わます。
小作駅東口を出て左手のエスカレータを降りたところにあります。
羽村市が設置した史跡説明板によれば、青梅線の立川-青梅間が開通した時に多数の地元民の寄付により掘られた井戸だそうです。
この地に鉄道が開通し駅が設立されることへの期待がどれほどのものだったかを伺わせます。
井戸が作られたのは明治27年のことでした。
この井戸、深さ27mもあるのですが、当時としては難しい井戸掘りだったとのこと。
先人たちはそのような困難を克服して井戸を完成させ、この地を中心にして経済が発展していったのですね。
名前 |
懐古の井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
昔はこの井戸の前に改札口が有り、井戸の周りに地域猫が複数住み着いていました。