2021年冬の特別公開にて内部を見ることが出来た。
2021年冬の特別公開にて内部を見ることが出来た。
特別公開★中に階段がついていないのが、面白く感じました!!
現在、天守閣からの下り道で通る門です。
以下の説明は、過去のものです。
上山里丸の、りノ門ともうひとつの出入り口がぬノ門です。
建物としては折廻渡櫓から直接接続した櫓門です。
門内側から見ると、折廻櫓の入口から櫓門の渡櫓部の二階に直接入れるようになっていることがわかります。
それでは上山里丸にはお別れして、短い坂道を下ってぬノ門をくぐります。
本丸へと登ってきたときに通ったにノ門と並ぶ姫路城随一の鉄壁の守りです。
さきほど登ってきたルートを往時は「上道(うわみち)」、そしてこのぬノ門から上山里丸、帯曲輪を経由して本丸に登るルートを「下道(したみち)」と呼んでいます。
ただ、このぬノ門は下道をおさえる最後の守備の関門です。
上道は本丸に登る公式ルートであり、輝政時代に備前丸の御殿に賓客をお迎えするときなどにはこちらが使われていました。
城主などが日常的に本丸に達するためには下道を使っていた、と言われています。
ぬノ門外ぬノ門の扉、柱、冠木などはすべて鉄板で覆われています。
また、櫓門の渡櫓部分が二階建てとなっていますが、この形の櫓門はかつて金沢城、彦根城、津山城、伊予松山城にもありましたが、現存例では日本でここだけです。
門外は、おなじみの折れ曲がりの縄張がここでも採用されています。
ここは菱の門前と同じく、枡形と言っても初期の形である外側の高麗門が省略された形です。
ただ高麗門はないと言っても、やはりこれから攻略しようとする櫓門のすぐ前の空間が狭い四角形になっていることは、攻め手側の攻撃力に相当のダメージを与えます。
人面石さて、その枡形空間の正面奥、すなわち門を背にして右手の石垣をご覧ください。
大きな二つの目玉に太い鼻、そう、巨大な顔がこちらをにらんでいます。
これは決して偶然ではありません。
お城の石垣では、重要な場所に鏡石と言ってとりわけ大きな石を選んで配置することがあります。
有名なのは大坂城の「蛸石」と呼ばれるタコの形のシミが入った石や、名古屋城の「清正石」と呼ばれる、ほんとうは黒田長政が積んだ気の毒な石です。
これらは、築城者の威厳や経済力、技術力を訪問者に見せつけるためにわざと一番よく見える部分に積まれているのです。
一方、呪術的な意味合いもあり、城内に入り込もうとした邪気をこのような人智を超えた大きな石でブロックし、跳ね返そうとしているのです。
このため、鏡石は門を入った正面などに配置されている例が多くなっています。
人の顔に見える石たち、通称「人面石」も呪術的な意味を持たせているのではないか、というのが専門家の見方です。
文字通り、門のすき間から忍び込もうとする邪気に対してここでにらみを利かせ、ブロックしています。
石工のユーモアのセンス、遊び心も感じます。
城内で唯一の三層の櫓門で、雛壇状になった姫山の曲輪群へ通じる関門となる重要な場所に築かれた城門です。
扉は木部をすべて黒鉄張りにし、太鼓鋲で留めた頑丈な門です。
二層目の櫓には、直下の門扉に群集する敵兵を想定した隠し石落しがあり、門に入る者を監視し射撃することができるようになっています。
門の前面には「扇の勾配」をもつ高石垣が張り出し、L字状に通路を屈曲させて防御機能を高めています。
この門を通って天守へ行く道を下道といい、はの門からにの門、ほの門を通って天守へ向かう道を上道といいました。
今は跡地が残っています。
ぬの門手前に、明治、昭和、平成のしゃちほこが飾ってあります。
顔つきの違いを見るのも楽しいです。
いろは歌シリーズの門ですね。
門と言いつつ長櫓な感じなので、当然下を通ろうとすると上から攻撃されちゃうわけです。
姫路城はこれでもかというくらいの防御が幾重にも張り巡らされています。
い・ろ・は各門を攻められたとき、伏兵が出撃したり、内から脱出も可能な門です。
2017.9.26横から見るとそってるのが分かります実際に菱の門からは見えなかったですね。
ここを通ってる人もいなかったので作戦勝ちなのかな?
コノ門は小さくて 石垣をクリ貫いた様な形状ですが 天守への近道として創られ 万が一 敵に見付かった時には 石を崩し通路を封鎖する構造であるトノ事ですソノ様なコトで 外から見れば『埋門』となり内側から見れば『穴門』と言う造りに 成っています。
名前 |
ろの門 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
079-285-1146 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
ろの門です。