神社の石畳は皆さんが書いてあるようによく滑りました...
静寂に包まれた立派な神社です。
苔むした参道は雰囲気あり、ですが雨上がりだった事もありますが滑り易い靴で行く方は要注意と思います。
境内の社務所は無人でしたが賽銭箱に細かく丁寧に説明書があり宮司宅で御朱印は戴けます。
お話好きな宮司さんより直書きで戴け色々な話しも聞け帰る際は交通取締りの場所まで説明していただきました。
磐城棚倉駅より徒歩15分ほど一宮巡りで参拝しました社務所の方は閉まっており、御朱印は階段を降りて二の鳥居をくぐった左側にある宮司さんの御自宅で頂けるとのことそちらで直書きの御朱印を頂く事ができました。
周辺には都都古和氣神社が多いですがコチラは馬場地区に位置している為に「馬場都都古和氣神社」と呼ばれています。
延喜式に記載された古社で陸奥国の一ノ宮と呼ばれていますが同じ棚倉町にある同名神社も一ノ宮ですし近隣にも一ノ宮名乗る社があります。
基本的に駐車場は無く神職も常駐していない為に静かな参拝となりますが鬱蒼とした社叢に囲まれて境内は乱れがちです。
それでも国の重要文化財に指定されている本殿などは立派で由緒ある神社で有る事が伺いしれます。
社務所には誰もいませんよ。
というのは置いといて。
閑静な神社です。
御朱印は官舎の向かいにあるお家です。
わかりづらいですが、郵送でも対応しているみたいです。
いるかいないか、運次第かとおもいます。
それと馬場を付けないとググれないので要注意です。
二の鳥居の所の脇の自宅で御朱印を頂け、手書きと書き置きと選べるようになってました、神社の石畳は皆さんが書いてあるようによく滑りましたがそれも良い感じでした。
参拝してきました。
境内はマイナスイオンたくさん。
しかし、あまり、整備されてないので荒れてます。
だけど、有名な神社と違って、参拝客もないし、大変と思います。
参道の石畳、雨降ると滑りやすいので注意!御朱印は階段の右の民家で書き置きでもらえます。
コロナで敏感になってるようで、仕方ないかな。
奥州一宮の一つですが、こちらには職員の方が常駐していないようで、御朱印をいただくことができませんでした。
歴史は古く境内の木々も大きくて立派ですが、拝殿と社務所はあまり低レベルされてないように思えます。
地元では馴染みある神社なのですが、ありとあらゆるところに張り紙が貼ってあって、一瞬目を疑ってしまうのはなぜかしら。
雰囲気は良い。
敷地内に入ると空気が変わったような印象。
お会いしなかったが、他の方の口コミにもあるようにこちらの宮司さんの個性が所々に感じられる張り紙。
建物としての経年劣化はあるが清掃や整理は行き届いていた。
御朱印は、階段を降りた左側の民家でいただけます。
コロナ禍つき書き置きされた御朱印です。
宮司さん、気さくな方です。
立派な神社です。
ほぼまっすぐに1〜3の鳥居が並んでいて境内も木々に囲まれていて静かで厳かな雰囲気でした。
自転車で何度目かの訪問です。
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。
寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。
また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)などがあり、数多くの貴重な文化財が保管されています。
無料の駐車場がありました。
格式はあるようですが、参拝客は全くいませんでした。
社務所もなく、お守りやおみくじも扱っていませんでした。
一之宮としての格式が薄く社務所は廃屋状態、御朱印を授かるには鳥居右手の民家で訪れた日は不在、玄関のドアにはいろんな添え書きが貼られ在宅の確認をとってから訪れたほうがいい。
宮司さんは歴史家で、宝物や神社の歴史を丁寧にお話しして頂けます。
御朱印も趣深いものが頂けます。
二年前と一年前に二回参拝し、どちらも御朱印を拝受しました。
宮司さんに横浜から来た旨をお伝えすると、鎌倉時代の神奈川の刀剣がこちらの社宝であるということを、文献と共に詳細に教えていただきました。
(社宝、というのはもしかしたら僕の勘違いかもしれませんが)二回とも会話はinterestingな内容で、御朱印のみならず色々と為になる話を聞けて大変ありがたかったです。
十分ほどお話しをして、「長時間引き留めてしまってごめんね」と仰っていましたが、こちらも謝辞を述べました。
大抵は「ようこそお参りでした」「ありがとうございました」ぐらいのコミュニケーションしかとらないですので、こういう会話はとても良いものですね。
宮司さんなのか、沢山の情報が貼り紙で表示されていました。
努力は大変なものとうかがえますが、人によっては、返って見苦しく感じるのではないかと思いました。
神社の維持管理の難しさを感じました。
馬場古墳と隣接する場所にあります。
カーナビの案内が今一つでした。
御朱印は500円。
桜の季節はすばらしいそうです。
以下、観光協会ホームページより都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上の宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。
寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。
また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)などがあり、数多くの貴重な文化財が保管されています。
19/9/14 参拝。
陸奥國一ノ宮 都都古和気神社(つつこわけじんじゃ)。
私が訪れた神社の中で屈指の神域を感じさせる素晴らしい神社です。
宮司の方も非常に親切で人当たりの良い学者肌の人物で、お話ししているとついつい時を忘れてしまいそうになりました。
東北出張も終わり帰阪するこの日、白河の一ノ宮三社巡りで訪れました。
裏参道の駐車スペースから境内に入ったのですが、驚きました。
他のレビューで色々書かれていたのですが、やはり実際に訪れないと分からないですね。
物凄い清涼で高潔な雰囲気に圧倒されてしまいました。
思わず両手を広げ声を上げたほどです。
誰も居なくて良かった…取りあえず参道から一の鳥居まで戻り、一礼して再度中へ。
道は土のままで、少し湿気た感じで涼しく感じました。
ほどよく柔らかいその道を少し上ると右側にほぼ廃屋の社務所があります。
おそらく基本ここは無人のままなのでしょう。
そこからちょっと先が随神門。
非常に歴史を感じさせるものです。
その手前にある手水舎で身を清め、門をくぐります。
張り紙は確かにありますが、些末なことです。
このころからぽつぽつと参拝者がいらっしゃいました。
その気配で少し場の雰囲気は変わってしまいましたが、素晴らしさは曇りません。
門をくぐったあたりから道は平坦に変わりまっすぐ拝殿前の鳥居へ。
本当に気持ちの良い参拝でした。
駐車場は無料で裏参道先に5台ほど停められる空き地があります。
宮司様から一の鳥居前も停めて良いよと言われましたが、出来ればここに停めた方が近隣の方の迷惑にならないでしょう。
御朱印は一の鳥居に向かって右側が宮司様のご自宅になっており、そこで頂けます。
特に表にはそれと分かるものは立っていませんが、玄関の扉付近に「ああ、ここだな」と分かる張り紙が沢山あります。
必ずいらっしゃるわけではないので、不安な方は連絡されてからの方が良いかもしれません。
私が訪れた時は、たまたまお庭の手入れをされていたので快く書いて下さいました。
私の後に待っていた若夫婦には申し訳なかったのですが、お話が大変面白かったので話し込んでしまいました。
この方は八槻の方の宮司もされていたそうで、そちらのお話も色々お話し下さいました。
そういった感じで長話になり宮司様も「ごめんなさいね」とおっしゃってましたが、ホント申し訳ない。
そのご夫婦も一ノ宮巡りされていたので次の目的地でも色々お話しして楽しい参拝になりました。
整備されては無いけど、別に悪くない。
宮司さんは自宅に居るのでそこで朱印。
居ない時もあるらしいが、電話を掛けると転送になるという説明書き見つけた。
また、どうして会えない時は、メモを残すと郵送してくれるらしい。
お話好きな宮司さんですので、朱印マニアには不向きかも知れませんが、お詣りを目的とされてる方には、良い話が聞けます。
カキコミを見て、なんか朱印貰うのも引けるなーと思ってたのですが、この神社の歴史なども聞くことができました。
また、私は淡路島から行ったのですが、淡路島伊奘諾神宮からのポスターを貼ってると見せてもらいました。
なんかお詣りして気分もスッキリ!
八槻都々古別神社の祭礼の日に参拝。
静かで気持ちのいいところです。
摂社や末社には、神社名が貼られており、分かりやすくてよかった。
陸奥一ノ宮様、またお参りさせてください。
ありがとうございました。
農村部の森の静かな神社。
普段は無人、宮司宅は手前の右側。
宮司は飲み会行ってて恐ろしく耳の遠い婆様が対応したが、いつまで経っても帰らないので集会所に行って連れ戻して御朱印を戴きました。
失礼しました。
大変親切な宮司さんがおられます。
近津三社巡りをしていたのですが参考になるお話しをしてくださいました。
地域の文化等にも興味を持ち参拝する人にはオススメです。
参道前の鳥居のすぐ右のお宅に宮司さんがおられます。
御朱印の納めは500円です。
最後に私見ですが...手入れの件でレビューを見ると残念な感じですし正直的を射ている面も多いです。
しかし、地域の力が衰退している地方において宮司さんは出来る限り努力してらっしゃると私は思います。
歴史や文化を地域で共有し受け継いできた仕組みが崩壊していることに思いを廻らして頂ければ見方も変わるのでは?
他の方のレビュー通り、クセの強い神主さんがいる。
10から20分程話すことになるのでは?話すのに時間を割くのも良いけれど、もう少し境内を掃除してほしい。
張り紙だらけで必要な情報が全然見つからない。
社務所にいないことも多いようなので、用がある時は社宅のインターホンを鳴らそう。
ちなみに僕は御朱印の日付が間違えられていることに後から気づき涙したので、要チェックすべし。
御朱印を頂こうと思ったが、神主らしい方が前の参拝者に話をしていた。
待っていたがあまりに長かったので、残念ながら断念した。
一の宮ということで格式は高いし、文化財もあるらしいが、そういった格式も、神主と思われる方が書き込んであるたくさんの貼り紙で台無しになっている感じで残念だった。
正直、近所の神社のほうが…って比べたくはないが、そう感じずには居られなかった。
もう少しなんとかなりませんか?
とても雰囲気が良い神社でした。
宮司さんから色々な歴史的な事を教えて頂きました。
陸奥の一之宮。
辺が静寂で趣きがある。
駐車スペースが無いのが難点。
神主さんがクセがある。
☆陸奥国一宮住宅地の森の中にある大きな神社。
境内はスギ、広葉樹などの巨木の森。
石段、白い第1鳥居。
鳥居をくぐると更に石段は続く。
登りきると右に社務所、左に手水舎。
正面に随神門。
左に伊勢神宮参宮記念碑。
門をくぐり、右に社務所改修記念碑。
石畳参道をゆく。
巨木が聳える。
左に小社あり。
木に銅板を巻いた第2鳥居。
奥に国指定重要文化財の薄黒茶色屋根の社殿。
社殿右に甲山天満宮。
左には連接して建物あり。
社殿の裏の石段の上に東照宮あり。
☆祭神 ・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと) ・日本武尊(やまとたけるのみこと)
関東では珍しい、アヂスキタカヒコネを祀られてる一宮神社。
宮司さんとそのお知り合いの学者先生の見解によると、アジスキタカヒコネは大国主の大事な長男、大きな国の長男というのは、何かと目立ち、狙われる立場。
そこで、何か目立たないような、謎に包まれたというか、分かりづらく、うやむやなような存在として、あえて古事記では書かれたのではないか、とお話ししてくださいました。
いただけるお札は、通常サイズよりも一回り大きい。
(これしかない)神棚に入るだろうか。
名前 |
馬場都都古和氣神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0247-33-7219 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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