高度経済成長を支えた時代の人々の呼吸が聴こえてきそ...
あるイベントでここが映されていてどんな所なのかと気になって来てみました。
生野銀山もあるなど鉱山があり関連遺産として古く1世紀も前からある建物が残ってるのは素晴らしいですね。
しかし立入禁止場所多くてあまり見れる所が少ないです。
パンフレットの表紙みたいに俯瞰で見れる様な所を作って見れたら良いと思いました。
例えば展望台を山に設置するとかしてそこは有料にして見てもらうとかしてもよさそうです。
せっかく素晴らしい遺産あるのでそれを活かさないのは勿体無いです。
廃墟感たっぷりの施設跡です。
100 年以上経過した古いコンクリートでも立派に立ってます‼️シックナーなんかは手入れをすれば、まだ使えそうな感じがしますが、当時は大変巨大な設備だったかと思います。
原鉱石の展示も有りましたが、メッチヤクチャ重い物でした。
当時は錫の選鉱場としては世界最大を誇り、明治政府と三菱(岩崎弥太郎)との癒着の賜物でも有ったかと思われます。
何でもかんでも三菱に任せておけば大丈夫とばかりに日本中の利権を漁っていた産業遺産かと思います。
最初鳥取方面からR29を南に下り左折して直接R429に入ったがこのルートは絶対やめた方が良い。
途中から道が狭く対向車と離合できない区間が長い。
またキツい上り下りの急カーブもあり脱輪しないかヒヤヒヤする。
さすがに途中で引き返した。
大型車通行不可の標識はあったがこれで国道などやめていただきたい。
遠回りになるがもう少し南に下って安積橋という交差点から県道6号に入りR429に合流すれば狭いところはあるが大したことはない。
なお、朝来ICからR429で行くのは完全2車線で全く問題ない。
で肝心の選鉱場跡だが普段目にすることがない構造物で大きさもあり迫力がある。
何かどこかの国の遺跡のよう。
もともとこの地は鉱山だったが1919年に近くの明延鉱山の鉱石を選別するための設備となり、同鉱山が閉山した1987年に操業を停止したとのこと。
砕いた鉱石を沈殿させふるい分けするため斜面に作られたとのことで納得。
(2024.6.12)
ずっーーと何年も、なんだろうと思って横の県道を通過していました。
この丸くてデカイ建造物。
巨大な階段上に削られた山⛰️ちっこい電車のような乗り物🚃日本の山奥にある妙に綺麗な洋館🏚️知らずに通りかかる人は殆ど同じような感想を持つのではないでしょうか?神子畑~明延鉱山に散らばる住居跡、明延中心地跡、浴場跡、鉱山跡。
どれも当時が偲ばれて素晴らしいです。
5年以上前に行ったときよりは少し風化しているように感じました。
でもそれなりに迫力はあります。
建物内部には入れませんが歩いて近くまで行けます。
駐輪場は広く無料です。
整備されているのでバイクも停めやすそう。
トイレは近くに案内所があるので利用できます。
テレビで見て知りました。
コンクリートの基礎だけになっているものの、東洋一と言われた神子畑選鉱場の迫力は見てみないとわかりません。
最近、テレビの特集で見て知った人も多いでしょう。
気になった人は現地まで足を運んでください。
立入禁止区域が多く、外からしか見れませんが歴史を感じることができますよ。
東洋一と言われた神子畑選鉱場の歴史と迫力、是非一度見に行ってください。
SF的?な構造物があります。
見方にもよりますが、異次元に踏み込んだような感覚を味わえます。
ムーセ旧居はとてもハイカラな建物です。
1円電車 乗ってみたかった。
兵庫にこんな所あったんだ?!って事でドライブがてら訪れました。
私が着いた時間は11時頃。
無料駐車場は空きがありました。
トイレも綺麗にされていますし、きちんと管理されているので無料とは言え、訪れる方々も綺麗に楽しみましょう!稼働していた時のカラー動画もあり、何とも言えない静かな感動。
昔使っていたと思われる基盤?なんかもまだ残されています。
星1つ減らしたのは、シックナーは今にも崩れそうだったので立ち入り禁止なのは分かるけど、選鉱場の高い所に歩いて行けたらなぁ、なんてちょっと思いました。
当時、東洋一の規模を誇る選鉱場で、24時間稼働し、夜になり選鉱場が光る姿が不夜城の様だったらしい。
平成16年、老朽化により解体され、22段の工場コンクリート基礎、選鉱場の上下を結ぶ急勾配の線路跡のみ残されています。
下からの景観は、圧巻で凄い!出来れば、中まで入り間近で見たい!
たまたま通りかかり、建造物のあまりの迫力に通り過ぎた後にUターンして訪れました。
選鉱場跡…というもののようです。
選鉱場自体。
ほとんど知らなく、訪れた時にはじめて知りました。
不夜城と呼ばれていたようです。
画像では伝わりにくいとおもいます。
実物を目の前にしたら、圧巻の迫力があります。
空に向かってそびえ建つ遺跡…って感じで実際に使用されていた時はすごかったんだと感じました。
ゴールデンウィーク、ほぼ駐車場は埋まってました。
バイクの人は道で写真を撮られてました。
屋内では説明されてるボランティアの方?が丁寧に説明されてました。
昔は中まで入れたでしょうが今は柵がされてるところが多いです。
歴史が勉強出来ます近くの神子畑鋳鉄橋と含めて訪れてはどうでしょうか?
戦国時代に神子畑鉱山として栄えたが、生野銀山の繁栄により休山。
明治時代に銀鉱脈が発見され採掘を開始したが、鉱脈の枯渇により閉山した。
その後は、明延鉱山の選鉱所として神子畑選鉱所が建設された。
明延鉱山で採掘された鉱石を選り分け、生野銀山併設の生野製錬所や国鉄播但線経由で飾磨港から瀬戸内海の直島の製錬所へ送る中継拠点的な役目を担った。
当時、神子畑選鉱所は、東洋一の選鉱所と言われた。
1987年に明延鉱山が閉山した後、神子畑選鉱所も閉鎖された。
長らく建造物は、そのまま残されたが、2004年に解体撤去された。
現在、残されているのは、ひな壇状の基礎建造物及びインクラインのみとなっている。
日本の高度成長期の産業遺産ですね。
資料館を訪れて、歴史がよくわかりました。
明延鉱山跡、神子畑選鉱所跡、生野銀山跡とセットで観光するのもいいですね☺️
道の駅でライトアップが行われるとパンフレットを見つけて行きました。
日本遺産ですね。
日本の産業歴史を感じた。
ここまでの道、ドライブも走りやすい。
竹田城の雲海を見た後。
日中にも行き、併設の異人館も併せて見学(この異人館は土曜&日曜日だけのオープン、)資料館になっていました。
廃墟跡とも言えるが、それよりもここで大きな産業が栄えた日本の発展を支えてきたのかと思うと先人の努力に感服する迫力ある遺跡。
行くための道も運転しやすい適度なワインディグロードなのでドライブがてらにぜひ!
わぁーだ。
石好きにはたまらん。
もっともっと近くで見たくなる。
強烈な傾斜!今にも崩れ落ちそうな危うさ。
過去の全景を写真や模型で見るのは感動的!
圧倒される遺構を目の前に立つと、高度経済成長を支えた時代の人々の呼吸が聴こえてきそうな氣がしました。
資料館では往年の様子を詳しく伝えてくださる方がおられ、非常にわかりやすくイメージが鮮明に出来ました。
閉山から30年ほどになるのでしょうか。
時代の流れにもまれ行き着く先は、またどこかで栄枯盛衰、波の高いとき低いときを重ねていくのでしょう。
一円電車は乗り込むことができます。
本当は〇円でもよかったみたいですが、坑夫は無料で乗れ、家族などの乗った数を数えたかったからだとか。
丸い神殿のような迫力のあるシックナーとは、鉱石の含んだ泥水を沈澱させる施設だったようです。
ここも明延と同じく、最盛期にはテニスコートがあり、鉱物の価格の暴落による明延鉱山の閉山とともに、坑夫たちは秋田などの鉱山のある町へ移り住んだようです。
廃墟好き、工場萌えなので最高の場所です。
ず~と行きたかったので、念願かないました。
巨大なシックナーは神殿みたいですね。
ここと佐渡島が有名です。
ムーセハウスでは親切なボランティアのガイドのおじさんが色々と教えてくれました。
UVERworld の『HOURGLASS』のPVに使われたのでUVERworldファンの聖地になっています。
立ち入り禁止エリアが多いので、全体を知りたいのでしたら、このPVをみてください。
この場所も「目的地」でした^^西暦800年から昭和を支えた「神子畑選鉱場」で建物も平成16年まで残っていたそうですが、解体されて土台だけが在るが当時は24時間稼働して、映画で出てくる一場面を思い出させますね。
この辺りには鉱山も多く武士の時代から支えていたのでしょう^^山に囲まれて谷間に道路と民家がある・・そんな印象でしたが、日本を陰ながら支えていた場所でもあるんですね。
今度はゆっくり来たいです。
(関係ないですが子午線にも近いのかな)?
先人の偉大さを感じます。
いきなり山奥に巨大な石の建造物が出現します。
日本の近代化に貢献した歴史的な建造物だそうです。
以前は円盤状の建物のすぐそばまで車を乗り入れられたようですが、駐車場以外の場所には乗り入れできないようになっていました。
日曜日だったので、バイクのツーリングや、家族連れさんで、賑わっていました。
日本一周旅の途中で寄りました。
写真のインパクトがあったので行ってみましたが…写真ほど印象的な観光スポットではありませんね。
遠目から廃鉱を見ますが、遠くて。
自由に歩ければいいんですけどね。
滞在時間10分くらい。
駐車場無料です。
ふと立ち寄りましたが正直なところ異世界感が凄いと感じました。
田舎道を走っているといきなり目に入る。
そんな感じで目に飛び込みます。
色々と立て看板に記述があったりギャラリーがあったりで昔の大変さや凄さに触れる事が出来る場所だと思います。
今は寂しいたたずまいですが、昔は活気があった場所なんだろうとノスタルジックな気持ちに浸れます。
鉱山といえば、昭和の日本経済を背負った代表格でもあり、発展から衰退を辿る、これもまた代表格ではないでしょうか?そうした負の歴史(遺産)をうまく利用して今後に残すことは大切だと、神子畑選鉱場跡を見て強く感じました。
子供達には日本の歴史を学ぶ所としてお勧めだと思います。
山肌に残る、コンクリート基礎などが見所。
現在、工事中のため一部立ち入り禁止になっている。
明延鉱山でツアーをしてからがオススメ。
竹田城跡を見に行ってから近くなので日本遺産と知り見に行きました。
建物の跡で昔は1円電車が走っていたようです。
高さは竹田城跡より高いそうです。
もちろんこの後、生野銀山に行きました。
この風景が見たくてやって来ました。
生野銀山は前に来ていますが、この神子畑(みこばた)選鉱場跡は初めてです。
ケーブルで山の上まで鉱石を運んで、順々に落としていき、大きな円形のところで、水を流して選別するようです。
動いてるところを一度見てみたかったです‼️
・👍かつては多くの鉱石を産出し、繁栄していたという神子畑選鉱場跡。
当時の状態のまま残っており、昭和の産業を支えていた軌跡を実感できる場所です。
当時走っていた一円電車の展示車両や線路が引かれているので鉄道好きのお子様にもうってつけです。
鉱石場の構造と仕組みの案内看板もあり、社会見学としても利用できます。
そのほか場内には、ギャラリー館、駐車場、お手洗いがありました。
・👎駐車場に関して、東側から来た場合は施設の少し先に駐車場があるので場所が少し分かりにくいです。
落ち着いた雰囲気です。
有名になる前に行きたいですね。
選鉱場は、佐渡、住友銅山と行きましたが、何度見てもよいです。
大きさでは佐渡、遺跡感では住友銅山ですが、神子畑は神子畑でシックナーがしっかり残っててよかったです。
廃墟感がいいです。
時代の流れ、歴史を感じる。
ここで大勢の方が働いていたと思うと、そんな時代があったから今の日本があるんだな。
と思いながらボーッと一時間ぐらい見ていました。
一見の価値有りです。
日曜日のみ隣の建物が開く。
明延鉱山についても同じ。
いずれも外から見ることは可能だが、果たして外からだけで満足出来るかな?周辺は舗装はしてあるが、急坂急カーブの山道で道幅はセンターラインの無い1.5車線くらいのところもある。
そういう道を八鹿-朝来間大きく迂回し1時間余り。
そこそこ疲れる行程で得るものは少ないだろう。
行くなら日曜日。
明延の見学ツアーとセットが良いだろう。
わたしは平日行ったが、何人かここで観光客に出会った。
明延は観光客ゼロだったが。
ちなみに明延数か所とここを雨の日に周ったが、外観はここがいちばん見応えかあった。
平日なら朝来から入って先にこちらを見てからピンと来なければ、明延は後日・日曜日でいいと思う。
なお、トイレは平日も開いているようだった。
場所がわかりにくいが隣の建物の裏に社屋に入る立入禁止の直前左下に小屋の様な建物が見える。
自販機・駐車場30台ほど有り。
大型バス4台ほど駐車可能だが、運転は大変だからなるべく断ろう。
特に明延からだとイヤ。
初心者は普通車含めてやめた方が良い。
野ざらしなので、コンクリートに、ひび入ってるし、行く道に、看板少ないから、解りずらい。
廃墟好きな方。
良いと思います。
朽ち果てた、コンクリートが、タマラン。
デカい。
圧倒されます。
でも、下から見上げることしか出来ません。
年に1度 中に入れるツアーがあるようです。
因みに2017は11月19日でした。
ついこの前まで、こんな小さい電車に人が乗っていたなんて、信じられない。
しかも1円。
今度じっくり見に来たい。
こんなとこにあるんやという感じです。
昔の華やかさと比べて今の選鉱場に儚さを感じます。
技術者として招かれたムーセの旧居がきれいで、中は神子畑選鉱場の歴史や鉱物の選鉱方法など学べます。
また、当時運行されていた一円電車が展示され、客車に乗れて当時の雰囲気を味わえます。
名前 |
神子畑選鉱場跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
079-666-8002 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
訪問必須場所良くぞこんな施設を作ったもんだと感心しきりでした。
昔の人は仕事が早い。
展示物が有る建物では寝転びながらテレビを見ている管理人さん? もこっそり覗けます😅