四国開発の先覚者讃岐国三野郡財田上村戸川(現在の香...
四国開発の先覚者讃岐国三野郡財田上村戸川(現在の香川県三豊市財田町の大地主の三男として生まれる。
私財を投じて道路・橋梁を整備、奨学資金の貸付け、病院建設への資金の寄贈等又、讃岐鉄道・北海道移住などを提唱・実行する。
1889年(明治22年)5月23日、讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の構想を披露している。
1891年(明治24年)、議会での演説中に倒れ、12月14日42歳で死去。
父祖から受け継いだ財産はほとんどが工事金不足の穴埋めに使われたため、残された家族は三度の食事にも事欠いたという。
大久保が建設を推進した道路の一部は現在もそのまま残されており、大久保の銅像が建つ仲多度郡琴平町の県立琴平公園の高台からは、旧多度津街道(国道319号)から琴平町の中心街である香川県道208号大麻琴平買田線につながっている直線道路を望むことが出来る。
その後、大久保の構想した四国新道は、1894年(明治27年)に全道開通。
香川用水は1974年(昭和49年)に、瀬戸大橋は1988年(昭和63年)に完成している。
琴平公園から大久保の目線は瀬戸大橋を望んでいるのかも。
一部Wikipedia参考※娘が孫を連れて散歩したコースにあった像で調べてみました。
琴平公園上の山頂にあります。
展望は瀬戸内海並びに讃岐富士又金比羅さん四国山脈を360度展望出来ます。
名前 |
大久保諶之丞命像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
明治時代に瀬戸大橋構想をぶち上げた偉人。